江戸時代に空を飛んだ? 伝説の男「鳥人幸吉」をご存じか
日本の航空機開発の歴史は、実は江戸時代からと極めて長い。先人たちの挑戦を紹介する。
巨大な竹とんぼ?

この幸吉は、戦前には教科書にも採用された人物として知られるのだが、実は岡山にはもうひとり飛行機を自作して飛ぼうとした人がいる。明治時代の射矢友三郎という人である。
この人物は、時代が明治に変わったばかりの1868(明治元)年に赤磐郡豊田村(現岡山県赤磐市)に生まれたと伝わる。幼い頃から学問に優れており、東京に出て明治法律専門学校(現明治大学)に学んだが、20歳の時に帰郷し、師範学校で学んで小学校の教員になった。
そんな人物が飛行機の研究に打ち込んだのは1890年ごろのことだったと伝わっている。蓬郷巌『岡山の奇人変人』(日本文教出版)という本では、このいきさつが記されているのだが、この本が出版されたのは1977年のこと。その様子を実際に見たという人の証言も交えて記録されている。
その証言によれば、射矢は隣家の納屋を借りて飛行機工場にして研究を進めていたが、秘密を守るため、兄弟も近所の者も近づけなかったという。そして、出来上がった飛行機が姿を現した。
図面などは残されていないが、記録をもとにすると、中央に操縦席があって左右に畳一枚よりも少し大きな翼がついていたものだったという。どうも、中央に座席のついた巨大な竹とんぼ風の乗り物だったようだ。そして、座席の所には足踏みで回す歯車が取り付けられていた。さらに翼を動かすためのテコのような装置もあった。
歯車で翼を回すという発想は極めて奇妙だ。しかし、当時はまだ自転車でもペダルとチェーンで回すという駆動装置が生まれていなかった時代である。回転させるなら歯車をいくつも連動させるしかないわけである。こんな誰も見たことがない機械を大工に指示して作らせたというから、情熱だけは十二分だった。