日本驚異の技術力! 江戸期に考案されたとは思えぬ「複合機械」とは何か
中世、近世、近代と、独自の動力技術革新を行ってきた日本の農商工業。江戸時代に原型が考案されたとは思えない、驚異の複合作業機械を紹介する。
農業に欠かせない動力源だった水車

水車とその作業機は、米や麦の脱穀、籾(もみ)すり、精米、製粉といった庶民の生活に密着した業種を中心に多用されたほか、水田などへの揚水などにも大きく貢献した、信頼性の高い動力源だった。
そうした水車が大きく進化したのは江戸時代後半のこと。
それまで単機能だった水車に対して、複雑かつ精密な一種の「からくり仕掛け」を付加することで、数種類の作業を同時かつ自動でこなすことができる、いわゆる集中動力複合作業機械が完成されたのである。
旧峯岸水車場に設置された機器類は、まさにこうした複合機械の典型と言って良いだろう。
その構造の進化を順に説明する。
まず基本的な新車(しんぐるま/水車本体)が設置されたのは、江戸時代においても庶民文化が盛んだった文化文政年間の文化5年(1808年)頃のこと。
当初の水車は現在のものよりも小さく、接続されていた作業機も少なかったと言われているが、原型の新車自体の設計が良かったこともあり、接続駆動される付属装置は次第に増えていったという。