就役は1930年! 太平洋戦争で数万人の邦人を救った「氷川丸」の記憶とは
国の重要文化財に指定されている船舶3隻のうち、横浜市の山下公園に係留展示されている氷川丸。すでに船齢90年以上を数えるこの船がたどった太平洋戦争の軌跡とは。
国の重要文化財「船舶」3隻のひとつ

わが国には国の重要文化財に指定されている船舶が3隻存在する。
1978(昭和53)年に指定された東京海洋大学所蔵の「明治丸」、2016年に指定された日本郵船の貨客船「氷川丸」、そして2017年に指定された航海訓練所の練習帆船「日本丸」である。
これらの中で、明治丸は灯台見回り船として1873年に発注され、1875年に就役した日本初の鉄製船体の3檣(しょう、帆柱)シップ型帆船。日本丸は1928年に航海練習所(当時)練習船として発注され、1930年に就役した4檣バーク型帆船である。
明治丸は一般的にはややマイナーではあるものの、横浜市の日本丸メモリアルパークで保存展示されている日本丸については、知らない人は少数派だろう。
一方、氷川丸だが、現在横浜の山下公園の桟橋に係留展示されているその姿と存在自体はよく知られているものの、その歴史については相当の艦船マニアでもない限り、気にとめたことがある人となると少数派ではないだろうか。
一般人にとっての印象は、山下公園の景色のひとつに過ぎないというのが正直なところだろう。
氷川丸は1928(昭和3)年起工、1930年に就役した日本郵船の横浜―米シアトル間を結ぶ北米航路貨客船だった。