環状2号線が全通! 計画決定から苦節76年、最後の最後で足を引っ張った「豊洲移転問題」という病理

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12月18日、東京都都心部と臨海部を結ぶ環状2号線の最後の区間となる新橋―築地間が開通。これにより、環状2号線が全通を果たした。

全通への動きは90年代に入ってから

立体道路制度を活用した虎ノ門ヒルズ。建物の下には環状2号線が通る(画像:小川裕夫)
立体道路制度を活用した虎ノ門ヒルズ。建物の下には環状2号線が通る(画像:小川裕夫)

 今回開通した環状2号線は、1964東京五輪の街路整備でほとんど手付かずのままだった。環状2号線が全通に向けて動き出すのは、1990年代に入ってからだ。有明地区の整備が着手され、1998(平成10)年には虎ノ門付近に立体道路制度を活用することが示された。

 道路法における道路とは、道路そのものだけではなく道路の上空や地下も含めて道路とし、法律の効力が及ぶことになっていた。

 そうした道路法は時代に合わなくなり、都市整備を迅速に進めることや効率的に活用することが求められるようになる。そこで、1989年に立体道路制度を創設。同制度は道路区域の「上」と「下」の範囲を定め、その道路区域外の空間を建物や公園など別の用途に利用することを可能にした。これにより、環状2号線の真上に虎ノ門ヒルズが立つといったことが法的に可能になり、2014年に完成している。

 環状2号線全通のボトルネックだった虎ノ門の問題をクリアしたことで、環状2号線の全通は時間の問題だった。しかし、最後の関門として築地市場が立ちはだかる。

開通にも影響を及ぼした豊洲移転

土壌汚染・盛り土問題により、開業が遅れた豊洲市場。東京都は工事の進捗状況を伝えるため、豊洲市場の地下を報道公開した(画像:小川裕夫)
土壌汚染・盛り土問題により、開業が遅れた豊洲市場。東京都は工事の進捗状況を伝えるため、豊洲市場の地下を報道公開した(画像:小川裕夫)

 築地市場は関東大震災後に日本橋から魚河岸が同地に移転してきたもので、昭和・平成を通じて東京の台所として機能してきた。

 施設が老朽化していることや周辺道路の配置・幅員などが時代に合わなくなったことなどを理由に、かねて東京都は代替地を探していた。そして、築地に近い豊洲へと移転させることを決定し、予定は2016年とした。

 しかし、移転先の豊洲市場で土壌汚染や盛り土などの問題が指摘され、豊洲への移転は延期になった。築地市場の跡地には環状2号線が整備されることになっていたため、豊洲移転の遅れは環状2号線の開通にも影響を及ぼす。このほど開通した最後の区間は築地―新橋間だから、環状2号線がいかに波乱万丈をたどったかわかるだろう。

 環状2号線は全通したが、まだ東京都内には計画が立てられながらも未着工・未整備の道路が多く残っている。特に、多摩エリアは道路整備の進捗が遅いとされる。

 小池百合子都知事は、2016年と2020年の都知事選で多摩格差ゼロを打ち出していた。多摩の道路整備は都民のみならず、埼玉県民や神奈川県民にとっても大きな関心事だろう。それだけに、今後の道路整備に注目が集まる。

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