首都高・幻の「環状道路」 昭和30年代ぶち上げられた計画は、なぜ宙ぶらりんのままなのか?

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首都高の環状線と言えば、都心環状線、中央環状線、外環道、圏央道の四つが知られているが、もうひとつ、第5の環状線の計画があることをご存じだろうか。

幻? 首都高第5の環状線

首都高・環状線(画像:写真AC)
首都高・環状線(画像:写真AC)

 首都高にある環状線は、内側から「都心環状線(C1)」「中央環状線(C2)」ふたつの道路で放射道路をつないでいる。その外側には、一部未完成部分があるものの「外環道(C3)」「圏央道(C4)」と、計四つがある。

 しかし実は昭和の時代、C1の円に重なるような、もうひとつの環状線が計画されていた。その“遺構”は、今でも見つけることができる。

戦後の日本道路計画

 時は、ポツダム宣言受諾から10年ほどが経過した昭和30年代(1955~1964年)。戦後の高度経済成長を迎えた首都圏では、急速にモーラリゼーションが発展していた。

 人口が増加したことで産業が集積した首都圏は交通が集中し、インフラ整備の遅れもあり、交通戦争と揶揄(やゆ)される時代を迎えていた。

 この対策として、「首都圏基本問題懇談会」の中間報告にて、3環状9放射の道路交通ネットワークとなる「都市間高速道路整備構想」が発表された。

 そして、1963(昭和38)年の記録に「内環状線」という耳慣れない路線名が登場する。