読めば旅情たっぷり 「鉄道紀行」がすっかり衰退したワケ

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かつて盛んだった鉄道紀行だが、ローカル線や夜行列車が衰退の一途をたどった。往年を振り返る。

戦後に確立された鉄道紀行

旅情ある鉄道紀行のイメージ(画像:写真AC)
旅情ある鉄道紀行のイメージ(画像:写真AC)

 日本の鉄道は昭和の高度経済成長期に隆盛を極めたが、航空機や高速バスが台頭してくると、ローカル線や夜行列車が衰退の一途をたどった。21世紀に入ると、鉄道紀行(旅行記)も衰退していく。

 鉄道紀行の先駆けは内田百間(ひゃっけん)の『第一阿房(あほう)列車』(1991年に福武書店、2003年に新潮社がそれぞれ文庫化)といわれている。用事もないのに汽車に乗って大阪へ行く。それも最上級の1等車に乗るというところから始まる。序章を読む限り、とっつきにくい、めんどくさい人物のようだが、軽妙洒脱(しゃだつ)な文章で汽車旅の模様をつづっている。

 また、現代と違って漢字が多い、初めて目にする言葉が多いのも特徴だ。一部を抜粋すると、ございましたを「御座いました」、ボーイを「ボイ」、お昼時(ひるどき)を「お午時(ひるどき)」、サイドゴアブーツを「深護謨(ふかゴム)」などと記す(カッコの本文、ふりがなは原文通り)。まるで教科書を読むような感覚である。

 東北、関東、中部、関西、中国、九州を舞台とした汽車旅の記録は好評を博したようで、のちに『第二阿房列車』(1991年に福武書店、2003年に新潮社がそれぞれ文庫化)も発売された。いずれも当時、青函トンネルや瀬戸大橋が存在しない北海道、四国は未踏なのかルポがない。

国鉄を動かした『時刻表2万キロ』

宮脇俊三『時刻表2万キロ』(画像:河出書房新社)
宮脇俊三『時刻表2万キロ』(画像:河出書房新社)

 鉄道紀行が世に認知されるきっかけとなったのは、宮脇俊三の『時刻表2万キロ』(河出書房新社)だ。中央公論社の在職中、金曜日もしくは土曜日に夜行列車で出発し、未踏の国鉄路線を全線完乗後、月曜日の朝に帰京して出社することが多かったという。しかも、同僚の多くは宮脇氏の“ウラの顔”を知らなかったらしい。

“時刻表に乗る旅”をコツコツ積み重ね、1977(昭和52)年、足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)の終点間藤で国鉄の旅客全路線完全制覇を達成。このとき、中央公論社の常務取締役という重職だった。

 その後、著書の話が舞い込むが、かつて編集者として作家等の企画の多くを断ったのに、自分の作品を特別扱いして勤務先から出すわけにはいかず、同業の河出書房新社で刊行されることになった。このため、1978年に退職し、7月に先述の『時刻表2万キロ』が発売される。

 これが大きな反響を呼び、ベストセラーになったほか、日本ノンフィクション賞、新評賞を受賞。さらに国鉄(現・JRグループ)はこれを背景に1980年3月14日から10年間にわたり、「いい旅チャレンジ20,000km」というキャンペーンを展開した。赤字続きの火だるま状態だった国鉄にとって、宮脇氏は救いの神という存在だったようである。

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