ドイツ国防軍の名将「ロンメル」 彼はなぜ第2次大戦「北アフリカの戦い」に負けたのか
ロジスティクスによる支援の限界
さらにクレフェルトは、「北アフリカ戦線でのロジスティクスの危機は、必ずしもマルタ島のイギリス軍の戦闘能力を奪うことに失敗したからではなかった。補給がピークに達した(1941年:筆者注)5月でさえも、アフリカへの輸送途中で損失を受けたのは、荷積みした補給船のうちわずか9%に過ぎなかった」と述べている。
同時に、「だがいったん攻撃が開始されると、手元にある手段だけではトリポリから前線までの広大な場所に橋を架けることはできなかった。その結果、(トリポリ港の:筆者注)桟橋には補給物資が滞る一方、最前線では不足が生じた」のである。
こうした状況を受けて、クレフェルトは次のように結論を下している。すなわち、「ロンメルは自らの進撃によって自らを窮地に陥れたのである。ベンガジ港の能力が制限されていたため、今の地点にとどまることは考えられなかった。退却すると、OKHの妥当性を認めることになる。OKHには今ではロンメルが気が変になったと考える者もいた。こうした危機から脱出する唯一の方法は、トブルク港を攻撃し、占領することであった」。
ロンメルの要求にもかかわらず、1941年6月のヨーロッパ東方戦線における独ソ戦の勃発後、既にドイツはソ連軍との戦いに完全に関与しており、彼の要求を認めれば、それは、北アフリカのドイツ軍がさらに大量の補給物資を必要とすることを意味した。ドイツ軍中央からすれば、これは絶対に応じられない要求であった。
地中海をめぐる戦況
それ以上に、北アフリカで戦うドイツ軍の背後で、地中海をめぐる戦況は彼らにとって極めて不利になりつつあった。
例えば、これまで北アフリカへと向かう輸送船をシチリア島の基地から保護していたドイツ軍航空部隊の大部分が、1942年6月初頭にはギリシャへと移動した。その結果、マルタ島などに基地を構えるイギリス海軍および空軍は、いわゆる行動の自由を大幅に確保することになる。事実、その後、枢軸国側の輸送船の損害は増大している。
また、同年9月にはベンガジがイギリス空軍に爆撃され、枢軸国の輸送船はトリポリへと向かうことを余儀なくされた結果、ロジスティクスの線(ライン)が約4倍に伸びている。
なるほど、補給物資をギリシャから直接、リビアに輸送することも検討された。だが、この方策を用いれば、ギリシャの港湾までは単線の鉄道に依存しなければならない上、この鉄道は常に連合国軍の攻撃の対象とされていたため、現実的ではなかった。また、ドイツ軍にとって緊急を要する物資を空中から補給する試みもなされたが、航空機不足のため、ほとんど成果は上がらなかった。
枢軸国内での対立
こうした中、イタリア軍への不満を強めたロンメルは、同軍の非効率性を厳しく批判すると共に、ドイツ軍が北アフリカの戦いのロジスティクスの任を負うべきであると主張した。ドイツ海軍もこれに同調し、イタリア軍がトリポリに固執するのは、戦後に備えて船舶を温存しているのではないかとの強い疑念を表明した。
他方、OKHは、ドイツ空軍が地中海東部の目標を優先しており、輸送船の保護をおろそかにしていると自国の空軍に対する批判を強めている。
その一方でイタリア軍は、トリポリ港を使用することは敵の分断のためにも必要な措置であり、同国海軍にはマルタ島のイギリス軍を攻撃するための燃料が不足しているため、この任務はドイツ空軍が担当すべきであると主張した。
このように、ロジスティクスをめぐるイタリア軍とドイツ軍の対立、さらには、ドイツ軍内での対立は、時期を経ると共に激しくなり、解消することは全くなかった。