ドイツ国防軍の名将「ロンメル」 彼はなぜ第2次大戦「北アフリカの戦い」に負けたのか

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「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ軍のロンメルが、第2次世界大戦「北アフリカの戦い」で敗れた理由とロジスティクスの関係を探る。

北アフリカ戦線の戦略環境

 北アフリカ戦線においては、やはりロジスティクスをめぐるイギリス(連合国)側とドイツ(枢軸国)側の対応の差が決定的であったように思われる。

 仮に、輸送船が地中海を無事航行できたとしても、枢軸国軍の最大の補給港であるリビア西部のトリポリから、決戦場となったエル・アラメインまでは約2000kmの距離があり、揚陸能力の劣るベンガジからでも約900km離れていた。当然ながら、ドイツ軍には利用可能な鉄道など存在せず、そのほぼ全てを車両輸送に頼っていた。確かに、船舶による地中海の沿岸輸送も行われたが、ごく小規模にとどまった。

 他方、イギリス軍は主要な港湾であるアレキサンドリアからエル・アラメインまでは約100kmに過ぎず、整備された鉄道を運用することも可能であった。その結果、燃料や弾薬に代表される物資の補給量は、ドイツ軍とは比較できないほど大きなものとなり、実際、イギリス軍指揮官バーナード・モントゴメリーは、この優位性を最大限に活用して戦いに勝利したのである。

エルウィン・ロンメルとロジスティクス

 では、北アフリカの戦いにおける指揮官としてのロンメルの資質は、どのように評価できるのであろうか。

 なるほど、戦車の運用に関するロンメルの豊富な知識、そして実際に北アフリカ戦線で証明した彼の能力は高い評価に値しよう。こうした戦いでの活躍の結果、ロンメルは「砂漠の狐」との異名で呼ばれることになったのである。

 だが、「アフリカ軍団長」としてのロンメルの責務は、ただ単に戦車部隊を運用することにとどまるものでなく、例えば部隊全体のロジスティクスへの配慮などが強く求められた。その意味において、北アフリカ戦線でドイツ軍が最終的に敗北した最大の原因を、ロンメルのロジスティクスに対する関心の欠如であるとするクレフェルトの主張も妥当のように思われる。

 言い換えれば、大隊長や連隊長などとは異なり、師団長、軍団長、軍司令官に代表されるさらに上級の将官には、数週間から数カ月という長い期間で作戦全体を俯瞰(ふかん)し、ロジスティクスはもとより、部下の疲労や士気といった問題にも細かく配慮する資質が求められるのである。

 1944年6月の連合国軍によるヨーロッパ大陸反攻作戦、すなわちノルマンディー上陸作戦に際して、しばしばロンメルが同じドイツ軍人から「せいぜい師団長クラスの将官」に過ぎないと揶揄(やゆ)されたゆえんであり、実際、この批判にはかなりの根拠があった。

 実は、当時の多くのドイツ軍人にとっては、ロンメルの、衝動的とも思える自分勝手な行動、いわば成り行き任せの作戦、そして何よりも、運任せのロジスティクスなどを批判的に捉える見解が一般的であったのである。

 いずれにせよ、北アフリカのドイツ軍は、極めて貧弱なロジスティクスの線(ライン)の最先端で戦うことを余儀なくされ、とりわけ機甲部隊は物資や燃料不足の結果、十分な態勢を整えることができなかったことは事実である。

 ロンメルの回顧録は彼の死後、第2次世界大戦が終結してから刊行されたが、その中で彼は、指揮官は補給に細心の注意を払い、ロジスティクスの担当者には自発的に準備を進めるよう命じるべきであると述べている。だが、これは彼の本心とも、歴史の真実とも異なるように思われる。現実にはロンメルは、作戦面での見通しとロジスティクスの可能性を比較検討した結果、しばしば後者を無視したのである。

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