270人死亡 「パンナム機爆破事件」で世界の保安検査はどのように変わったのか
1988年発生、270人死亡
1988年に発生し、270人が死亡したパンアメリカン航空(パンナム)機爆破事件を巡りし、連邦捜査局(FBI)が爆発装置を製造したとされる容疑者を拘束した。
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英BBCによれば、この人物はリビアの元情報機関員で、既に別の容疑でリビア国内で服役中で、2020年に爆弾製造の容疑で米国司法省から訴追を受けていたという。
発生から34年を迎えるこの事件は、事故機の名称由来の「パンアメリカン航空103便爆破事件」あるいは、発生現場に由来する「ロッカビー事件」などとして知られている。国際政治や、その後の航空機の安全体制などさまざまな面に影響を及ぼし、いまだに語り継がれる事件だ。
1988年12月21日、西ドイツ(当時)のフランクフルトから、ロンドン、ニューヨークを経由してデトロイトへ向かう103便がヒースロー空港を離陸後、スコットランドのロッカビー上空で爆破された。乗客乗員に加え、墜落地点の住民11人も巻き込まれ、計270人が死亡する大惨事となった。
爆発原因はその後の調査で、スーツケースに隠され貨物として積み込まれたプラスチック爆薬(日本製のカセットレコーダーに偽装されていた)を使った時限爆弾と判明した。さらに、リビアの情報機関が、1986年4月の米国によるリビア爆撃に対する報復として実行したということも判明した。
容疑者の引き渡しをめぐって、リビアの最高指導者だった故ムアマル・カダフィ大佐と西側諸国との間で激しい対立が発生。1999年、容疑者の引き渡しに合意したものの、裁判は事件に無関係のオランダの米軍基地にスコットランドの租借地を設け、スコットランド法に基づく特別法廷で裁判が実施された。これも異例であり注目を集めた。結果、容疑者ふたりのうち、ひとりは終身刑の判決を受けている。