財務省「6000億円借りパク」疑惑で発覚 自賠責保険、実は補償額が少なすぎた! 漂う不要論と「任意保険強制」の示す未来とは

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政府と財務省が自賠責保険積立金約6000億円を借りたまま完済していない問題が、現在話題になっている。ただ、昭和時代に作られた自賠責保険の在り方も同時に問われているのだ。

少なすぎる補償額

自賠責保険の主な車種・期間の料金(画像:国土交通省)
自賠責保険の主な車種・期間の料金(画像:国土交通省)

「補償内容が不十分ですし、自賠責保険だけで何とかなるとは誰も思っていないでしょう」

 大手損害保険会社の営業マンもこう語る。自賠責保険は人身事故、それも自動車の運行によって他人を負傷させたり、死亡させたりという他人に対する補償に限定されている。自分がけがを負ったり相手の車や店舗を壊したりなどの自損および物損事故は補償されない。

 相手に払われる限度額は、

・死亡:3000万円
・けが:120万円
・後遺障害:75万円~4000万円(程度による)

以上の3点に限られる。自賠責保険は被害者救済を目的としているため、直接的な保険会社の利益にはならない。非営利的料率(ノーロス・ノープロフィットの原則)が適用されている。

 なるほど、この程度の補償では日本の自動車ユーザーの9割以上は任意保険に入るはずだし、損保会社も任意保険を勧めるわけである。この金額だけではまったく足りない。

 人身事故の高額賠償判決例としては、41歳開業医の死亡事故が5億2853万円、30歳公務員の後遺障害が4億5381万円であり、物件事故でもパチンコ店に突っ込んだ賠償が1億3450万円、相手の積み荷を台無しにして2億6135万円などがある。

 対人だけでなく、対物でも一般人の人生などたやすく終わりかねないということだ。別の中堅損保会社社員は辛辣(しんらつ)だ。

「自賠責保険はお守りみたいなものですよ。昭和のままで、すでに形骸化しています」

「交通戦争」が生んだ自賠責保険

昭和の街並みイメージ(画像:写真AC)
昭和の街並みイメージ(画像:写真AC)

 自賠責保険の歴史は古い。1955(昭和30)年の誕生から67年と半世紀以上たっている。

 高度成長による自動車の普及は死者6000人、けが人10万人(1956年)という、いわゆる「交通戦争」を生み出した。当時はほとんどのドライバーが保険などに入らず、ひかれた者やぶつけられた者は

「泣き寝入り」

という現実は確かにあった。逆にそれを利用して、「当たり屋」と呼ばれる事故のわび金目当ての家族も普通にいた。

 こうした状況を放置してはモータリゼーション先進国の仲間入りができないと、制度化したものが自賠責保険である。しかし制度改正は度々行われたが、あくまで補償は「最低限」でしかない。故に自動車が“日用品”となった今日では、自賠責保険と別に任意保険に入るのは常識であり、補償という点では彼らの指摘通り形骸化している。

 また被害者救済を目的としていると書いたが、現在の自賠責保険積立金7500億円のうちの6000億円が政府と財務省によって一般財源として使われ、およそ30年間も完済されていない現実もある。

 2018年からようやく返済が始まったが、現在の年間返済額では完済まで85~100年はかかる計算である。原資の不足から2023年度以降の値上げが決まっているが、被害者救済を目的としながら、8割以上も財務省が借りたまま返さず、肝心の被害者救済に回らないというなら、自賠責保険そのものの存在意義が問われても仕方のない状況にある。