桜木町駅まで一気に開業できず! 開業50年「横浜市営地下鉄」の悲喜こもごもをご存じか

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1972年に開業し、多くの人が利用する横浜市営地下鉄。その歴史を今回、ひも解く。

立ち消えになった山下町線

横浜ベイブリッジ(画像:写真AC)
横浜ベイブリッジ(画像:写真AC)

 地下鉄の分岐点となる予定だった伊勢佐木長者町駅付近には、国鉄(現・JR東日本)の線路と首都高速道路が併存している。道路と鉄道の工事をいっぺんに実施することが難しいという判断から、まず地下鉄の分岐点が関内駅付近へと変更された。しかし、計画変更した後もさらなる不運が待ち受けていた。

 横浜の山下公園一帯は、幕末から干拓で土地を創出した歴史がある。ゆえに地盤は軟弱で、陥没事故を起こす恐れがあった。安全に工事を実施するには港湾から荷物を運ぶ大型トラックの通行を止めなければならないが、それは物流を阻害し、横浜経済ひいては日本経済を停滞させることにもつながってしまう。

 それらを憂慮した港湾関係者から、

「横浜ベイブリッジと首都高速横羽線の山下インターが完成するまで、地下鉄の建設は見合わせてほしい」

との申し出があった。横浜ベイブリッジと首都高速横羽線の山下インターが完成すれば、トラックはそちらを走るようになる。山下町線の工事が物流を阻害することはなくなる。

 しかし、横浜ベイブリッジと首都高速横羽線の山下インターは、いつ完成するのか判然としない。いたずらに待つのでは、地下鉄工事の費用が無尽蔵に膨れ上がってしまう。予算オーバーを懸念した横浜市当局は、地盤に影響が出ないシールド工法を提案するなど折衝を続けたが、港湾関係者がクビを縦に振ることはなかった。

 山下町線が着工されないまま歳月は過ぎ、1981(昭和56)年に横浜市は新たな都市のグランドデザインを策定。これは、「よこはま21世紀プラン」と呼ばれる計画で、同計画には後のみなとみらい線となる鉄道計画も含まれていた。みなとみらい線と山下町線は区間が重複するため利用者の取り合いが生じてしまう。共倒れが懸念されたことから、山下町線は立ち消えになった。

 山下町線の計画が暗礁に乗り上げる一方、伊勢佐木長者町駅から横浜駅を結ぶ路線は1976年に横浜駅まで延伸。以降も北は1993(平成5)年にあざみの駅まで、南は1999年に湘南台駅まで開通している。

 現在、同線はブルーラインの愛称が付されているが、これは2008年に中山~日吉間を結ぶ新路線(グリーンライン)が開業することに伴い、呼び分ける必要が出てきたからだ。

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