東京の「舟旅通勤」は事業化できるのか? 江戸期の舟運からじっくり考察する

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東京都と品川区による「らくらく舟旅通勤」第2弾の可能性とは。江戸を通して考える。

舟旅通勤の可能性

「東京船旅」で使われる船舶(画像:東京都)
「東京船旅」で使われる船舶(画像:東京都)

 東京都と品川区による「らくらく舟旅通勤」第2弾が10月17日から11月4日までの期間限定で行われている。舟運が身近な観光・交通手段として定着し、水辺のにぎわいを創出することが狙いだ。

 本事業の実証実験は、2019年に続いて2回目。通勤ラッシュの緩和を目標としている東京都の模索の末たどり着いた舟旅通勤だが、事業化および定着化の未来はあるのだろうか。

 江戸の水運を振り返りながら、その可能性を探る。

水の都を夢見た家康の江戸開拓

「富嶽三十六景」葛飾北斎(画像:国会図書館デジタルコレクション)
「富嶽三十六景」葛飾北斎(画像:国会図書館デジタルコレクション)

 江戸は水の都だった。いや、水の都にしたのは徳川家康と幕府、従事した人々の英知と血のにじむような努力のたまものであり、開府以前の江戸は湿地帯だった。大雨のあとなど、水が引けるまで船の上で過ごすという、そんな暮らしが当たり前だった土地である。よく家康はここに都を作ろうと思ったものだ。

 家康が江戸を都にできると踏んだのは、水運発展の可能性を江戸の土地にみたからという説がある。そのとおりで、江戸には全国から荷物を積んだ船が江戸湊に集まった。この荷物が江戸城や町民たちへの運送に使われたのが、江戸を縦横無尽に走る河川だった。

 河川はそのまま利用されるのもあり、人工的に作られたものもあった。町中には堀が作られ、土地を埋め立てる際には計画的に堀や堤、川を作り、運送が滞らないよう都市開発がなされた。

 江戸は、湿地帯という特長を生かして作られた水の都なのである。

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