東京の「舟旅通勤」は事業化できるのか? 江戸期の舟運からじっくり考察する

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東京都と品川区による「らくらく舟旅通勤」第2弾の可能性とは。江戸を通して考える。

舟旅通勤と江戸水運の共通点と是非

「名所江戸百景 小奈木川五本まつ」歌川広重(画像:TOKYOアーカイブ )
「名所江戸百景 小奈木川五本まつ」歌川広重(画像:TOKYOアーカイブ )

 江戸時代の舟運事情を把握したところで、今回の舟旅通勤との共通ルートと違いを見てみよう。まず、品川区が運行している目黒川ルートの天王洲~五反田。これは、当時もこのルートを使ったであろうし、所要時間が25分というのもよい。乗ったら乗りっぱなしで、乗り換えなしで座っていけるのならよい。通常なら、山手線なりモノレールなりに乗り換えなければならない。通勤でクルーズ気分を味わえるのなら、なかなか良い感じがする。200円というのもよい。

 ただ、五反田から天王洲アイルの区間だけで通勤が済む人はまれだろう。となると、なにがしかの交通手段を使って舟なり電車なりに乗り換える必要がある。

 というわけで、他の長いルートを確認してみる。豊洲ぐるり公園やお台場海浜公園、日の出、勝どきの朝潮運河は、江戸期にはなかったので比較しようもない。ただ、日の出からお台場海浜公園まで、船旅通勤で25分かかる。ゆりかもめなら、混んでいても座れなくても8分だ。時間に余裕のある会社帰りなら良いかもしれない。

 日本橋に行くルートもあって、これは隅田川から日本橋川へ入る。高速道路が地下になり、日本橋の上に空が戻ってきた時、この船旅通勤ルートが開始していれば良いと願う。

 江戸時代のルートと比較できるのは、朝の両国~日の出~天王洲、夕の天王洲~日の出~朝潮運河~一之江だ。朝は両国から乗れるのだが、帰りは両国ルートは存在しない。その代わり、一之江なのである。実証実験ということなので、いろいろなルートを探っているのだろう。

 両国は、JR両国駅近くの東京水辺ライン両国発着所からスタート。ここから隅田川を延々と下る。日の出まで40分。日の出から天王洲アイルまで30分。総武線に乗って山手線に乗り換えて浜松町でモノレールで乗り換えて、しかも総武線と山手線が死ぬほど混んでいることを考えると、この舟通勤は有りだ。隅田川を使うというのも、良い。江戸の頃から流通の大動脈として使われてきた隅田川の、本領発揮である。

 ただ、両国から浜松町、または天王洲アイルまで通勤で利用する人口がどれだけあるかだ。両国から隅田川を下って日本橋川に入って日本橋に行くというルートも開発してほしい。神田川でお茶の水ルートは、既に総武線があり乗り換える必要もないので、神田川ルートはあっても需要が少なかろう。問題は、夕刻の一之江行きルートである。

交通の発達と土地開発で消えた塩の道

 天王洲を出た船は日の出、朝潮運河を経由して、豊洲に入る。埋め立て地をはう水路を抜け、夢の島公園を超え、荒川に出る。そして西葛西に渡り旧江戸川に入り、延々と北上して新中川の一之江に到着というコースだ。

 遠い。これは遠い。天王洲から一之江まで2時間半かかっている。新幹線で東京から名古屋に行ける。これが江戸時代の通勤舟だったのなら、「小名木川と新川ルートだろ!」と船頭が怒られそうである。(朝潮運河は当時はなかったけれどもあるとして)朝潮運河を出て、隅田川に入り、萬年橋から小名木川に入る。

 中川番所で中川を渡り、行徳川(新川)に入り、東船堀を通って一之江に行く。距離にして、半分ほどになるだろう。しかし、このルートは確かに現代では無理だ。川幅は狭くなっているから通勤の舟は入ることができないだろう。小名木川を渡航できたとしても、中川は荒川となっているうえに隣に中川が並行して流れており渡ることができない。さらに、新川には水門が設けられたので舟は入れない。本所における江戸の流通ルートは、もう流通の役目を担うことはできないのだ。

 そうなると、大回りで西葛西に入って江戸川を上るルートしかあるまい。これだけ遠くても需要があるのか、需要を作るとしたら何が必要なのかを、東京都は実証実験を通して知りたいのだろう。

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