「障害者をバスに乗せろ!」 乗車拒否貫くバス会社と対峙、バリアフリー化の礎を作った「川崎バス闘争」とは何か
川崎駅前のバスターミナルでの闘い

この状況のなかで1977(昭和52)年4月12日、「全国青い芝の会連合会」の呼びかけで「川崎バス闘争」が始まった。
当日13時。当事者と支援者約100人は川崎駅前のバスターミナルで一斉にバスに乗り込んだ。
「なぜ私たち脳性マヒ者はバスに乗れないのか? みなさんと同じ人間ではないのか」
と拡声器から放たれる声が響くなかで、支援者が車いすに乗った当事者たちを車いすごとバスに入れ、乗車させた。なかにはバスの前に立ちふさがる者、窓ガラスを割り、ハンドルを壊す者もいた。
居合わせた乗客からは罵声が飛んだ。ターミナルに乗り入れていた川崎市営バス、川崎鶴見臨港バス、東急バスなど、どこの会社のバスも動けなくなった。夕方のラッシュになると、乗客のなかには当事者をバスから引きずり下ろす者も現れ、混乱はますます激しくなった。
警察が動員され、最後の人がバスから降ろされた頃には23時を回っていた。占拠によって運休したバスは35台。約15万人の乗客に影響を与えたが、逮捕者はひとりも出なかった。
闘争から22年後に訪れた変化

この運動は、交通事業者に大きな衝撃を与えた。ただ、実際にバリアフリー設備が当たり前になるには長い年月を要した。
川崎バス闘争は国会でも取り上げられる問題となったが、運輸省(現・国土交通省)は
「介護人なしの乗車は困難」
との見解を崩さなかった。
最終的に運輸規則が改正され、支援者なしでもバスに乗れるようになったのは、1999(平成11)年。闘争から実に22年後のことだった。
その間、ほかの交通事業者でも対策は進んだ。とりわけ闘争の舞台となった神奈川県では、県と青い芝の会が公共交通のあり方を巡って、継続的に交渉を持つようになり、1980年代半ばには、鉄道駅でエレベーターの設置が進んでいった。
この動きが全国的に進んだのは、2000年からだ。旅客施設に国の基準に適合したエレベーターや身障者用トイレの設置、車両に車いすスペースの確保などを義務づける「交通バリアフリー法」成立後の話である。