山深い土地で発展! 江戸時代の林業・運輸に大きな貢献をした「木曽式運材法」をご存じか【連載】江戸モビリティーズのまなざし(4)
江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。
木曽に恩恵をもたらした特産品
米以外には、塩も運んだ。塩は尾張方面から川を上ってきた舟に積まれており、前出・木曽川の黒瀬湊で荷揚げされ、「塩の道」といわれた黒瀬街道を通って各地に運ばれた。海に面していない土地だけに、塩の供給は重要だった。
また、黒瀬湊を中継した荷は、下り(尾張方面に行く)は炭・まき・茶・生糸・紙など、上り(尾張方面から来る)は塩に加えて海の魚・みそなど。下りにまきがあるのに注目だ。木材である。建設用資材のみならず、木曽はまきも一大供給地だったのである。1690(元禄3)年には、木曽川だけで荷船は1万艘(そう)を超えていたという。
茶・紙は、元文期(1736~1741年)に積み荷の上位を占めていた。美濃にお住まいの人なら、もうおわかりだろう。美濃の代表的名産品である。また、生糸も上位ではないが有名だった。紙・生糸は、この地が良質な水に恵まれていたことと関係している。また、茶は昼と夜の寒暖差が大きい山間部での栽培に適していた。
これらの特産品は、新たな物流ルートも開拓した。例えば茶の場合、木曽三川の湊で荷揚げされると、北国街道を陸運、または琵琶湖まで運んでまた舟に積み替え、越前(現在の福井県)の敦賀に運ぶなど、いずれも目的地は日本海だった。つまり、太平洋に面した尾張、日本海に面した越前と輸送ルートが多様化し、木曽は流通の一大拠点として成長していくのである。
美濃茶・美濃和紙と、生糸を活用した織物「美濃縞(じま)」は現在も同地の伝統産業であり、街おこしのテーマとして大切に保存されている。木材も同じだ。ヒノキをはじめとした「木曽五木」といわれる樹種も森林保護されている。
今後も保存を維持し、活用していくことがモビリティ産業にも求められている。
●参考文献
名古屋・岐阜と中山道(吉川弘文館)