かつては「広大な紡績工場の街」 2路線が交わる足立区中央部が、いちばん契約された街ランキング「14位→4位」に急上昇したワケ

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2025年の賃貸成約データで14位から4位へ躍進した西新井。家賃中央値6万8000円という実需の背景には、日比谷線・半蔵門線直通による移動の効率化と、工場跡地再開発による良質な住宅供給の重なり合いがある。インフラの進歩と都市の供給が足並みをそろえて若者を惹きつける、市場変化の本質を分析する。

工場跡地の大規模再開発

1970年ごろの西新井駅周辺の地図。「紡績工場」の記載がある(画像:国土地理院)
1970年ごろの西新井駅周辺の地図。「紡績工場」の記載がある(画像:国土地理院)

 もうひとつの要因は、日清紡などの工場跡地で行われた大規模な再開発にある。この街の動きは、古いものが新しくなるというだけの話ではなく、提供される住まいの質が根本から入れ替わることを意味していた。かつて地域の産業を支えた製造業の拠点が、現代の都市で働く人たちを迎え入れる住環境へと姿を変えていく。そこには、日本の産業全体の大きな移り変わりと、都市の使いやすさが高まっていく流れが、はっきりと地続きで現れているのだ。

 この歩みを振り返ると、街の生い立ちそのものが日本の近現代史と重なる。西新井の駅前にあった広大な敷地は、1924(大正13)年に東京紡績が日清紡績とひとつになったことで西新井工場となり、昭和の戦時下には航空機用のブレーキライニングといった物資の生産を担うなど、時代ごとに役割を変えてきた。

 戦後も東京工場と名を変えて化学製品などを生み出し続け、2002(平成14)年にその長い生産の幕を閉じるまで、じつに約80年ものあいだ地域の経済を支える中心であり続けた。これほど長期にわたって守られてきた巨大な産業の拠点が役割を終えたからこそ、駅の目の前に他に類を見ない広大な“余白”が生まれたのだ。

 これまでの西新井周辺は、貸し出される部屋の多くが古いものや中位以下のものに偏りがちだった。しかし、この紡績工場や研究所の跡地という土地のゆとりを活かした「西新井ヌーヴェル」と呼ばれる複合的な街づくりが進んだことで、様子は一変する。

 大型商業施設のアリオ西新井を中心に暮らしの土台が整うとともに、新しくて綺麗な賃貸物件が一気に増え、住まいとしての水準が底上げされた。土地に余裕のない都心部では進めることが難しい規模の開発が、駅の周辺だけで日々の生活が完結する、交通を中心とした街づくりの形を後押しした格好だ。

 こうした変化に合わせて、駅自体の機能も整え直されている。振り返ると、2022年にはすでに新しい西口が開業しており、古い駅ビルの解体や西口ロータリーの改修も決まり、いまも進化が続いている。特に西口には広範囲を結ぶ大きなバスターミナルが設けられており、鉄道から路線バス、タクシー、さらには手軽な移動手段であるマイクロモビリティへとスムーズにつなぐ役割を担うようになった。駅から目的地までの、いわば最後のひとマイルの移動が楽になることで、地域全体の住まいとしての価値を高めている。

 この一連の流れは、家賃を無理に引き上げるのではなく、同じ価格帯のなかでの競争力を高める方向に働いた。結果として、家賃が6万~7万円台という、最も借り手が多い層のなかで、

「新しくて綺麗である」

というわかりやすい強みを持つ西新井へ、自然と選択が集まる形ができあがっているのだ。

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