「BYDに乗れば反日ですか?」 115万円のEV補助金格差が示す、環境から経済安保への転換――なぜ制度は世論も分断したのか
消費行動の立場化

制度のひずみはもはや、市場という枠組みを越えて人々の内面へと深く入り込んでいる。車を選ぶという日常的な営みが、いつの間にか自らの立場を表明するかのような振る舞いに変質してしまった。ネットや世論の場を眺めれば、BYDの車を買うことは合理的な選択ではなく、どちらの陣営に属するかを問う“踏み絵”のように語られる場面が目立っている。その過熱した空気のなかでは、
「反日」
といった刺々(とげとげ)しい言葉までがネットで飛び交う事態となっている。ここで起きているのは、ただの個人の好き嫌いではない。特定の製品を手にすることが、暗黙のうちに
「共同体の利益に反する行為」
と結びつけられ、集団の外側に置かれることへの恐れや攻撃性を引き出しているのだ。
かつて環境対策への後押しであったはずの補助金は、今や国がその存在を認めるかどうかを示す、一種のお墨付きのような役割を帯び始めている。15万円という低く据え置かれた補助額は、その製品が国家の利益にそぐわないものであるという見方を、図らずも補強してしまった。制度が「こちら側」と「あちら側」の境界をはっきりと引いたことで、人々の間に「正解の陣営」に留まろうとする心理的な圧力が働いている。
BYDに対する厳しい評価がそのまま特定の国への拒否感に直結し、補助金の格差が感情的な分断を深めている。この現象は、現行制度が持つ選別の性格が、生々しく表面化した結果にほかならない。東福寺社長が「補助金に頼らず、車本来の価格と性能でBYDの良さを実感してほしい」(同紙)と語った背景には、消費の選択が政治的な色を帯び、車の本質的な価値が対立の渦に飲み込まれていくことへの強い危機感があるのだろう。
ネット上の激しい反応も、個人の感情論だけで片付けられるものではない。制度が引いた境界線が人々の不安をあぶり出し、それが社会全体の空気として増幅された結果といえる。115万円という圧倒的な差は、消費者が冷静に性能を比べる余地を奪い、否応なしに「どちら側に立つか」を意識させる状況を作り出している。