沖縄に「幻の航空会社」が存在した! 1500人が集まった青い機体、それでも一度も空へ舞うことなく消えた就航構想とは

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資本金約5000万円で始動し、ANAやGECASとの連携、機材リース、採用に1500人超の応募と準備は進んだものの、2003年に契約解除と資金難で破綻。就航前に終わったレキオス航空は、沖縄の航空需要と供給の在り方を今に問いかける。

公租公課の軽減効果

飛行機のイメージ(画像:写真AC)
飛行機のイメージ(画像:写真AC)

 レキオス航空は1997(平成9)年、資本金約5000万円のサザンクロス株式会社として設立された。1998年にレキオス航空へ社名を変更し、後に機体にも描かれるロゴマークがつくられた。

 同社には、90年代に参入したスカイマークやエアドゥと比べて有利な条件があった。なかでも大きいのは、公租公課の負担が軽い点である。

 当時の日本は、航空会社にかかる税や使用料が世界でも高水準で知られていたが、那覇空港には特例があり、他空港に比べて着陸料や航行援助施設利用料は6分の1、燃料税は2分の1に抑えられていた。

 このため、先行していたエアドゥやスカイマークと比べ、B767-300ERで羽田~那覇間を4往復した場合、年間で約20往復分に相当する費用削減の効果が見込めた。

 整備も台湾のエバーグリーン・アビエイション・テクノロジーズ(EGAT)に委託しており、両社と比べて10億円以上安く抑えられる強みがあった。

 さらに沖縄は、北海道までの距離圏内に東アジアや東南アジアの主要都市が収まる位置にあり、地理面での利点も大きい。夜間に国際貨物を運べば収入の上積みも見込めた。

 株主には琉球銀行や沖縄電力、オリオンビールなど県内の有力企業が並び、地元財界の期待も大きかった。

 当時、沖縄路線にはボーイングB747など大型機が使われていたものの、本土への運賃はなお高止まりしていた。

 実際、沖縄旅行の費用が海外のリゾート地を上回ることも珍しくなく、沖縄県民や旅行者の間では、沖縄発の低価格航空会社の登場が強く求められていた。

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