「キムタクが乗るなら、やっぱりEVだよね」 スターの洗練イメージに共感する一般層――ネットアンチの過激バッシングは世間とズレているのか?
日本のドライバー1000人調査で、EVは価格や充電の不便さで購入に慎重な一方、静音性や環境配慮では高評価。現実の制約と理想像の隔たりが普及を遅らせている現状が浮かび上がった。
技術ではなく生活構造の壁

なぜここまで見方がわかれるのか。その背景には、EVがこれまでの車とは異なる暮らしの基盤を必要とする現実がある。ガソリン車は街のスタンドを利用すれば済んだが、EVは電気を補う場所が自宅や住まいの条件と切り離せないものになっている。
調査でも「自宅に充電設備を設置できない(27.5%)」という声がある。普及を妨げているのは、車の性能そのものよりも、マンションの規約や土地の制約といった日本の街の物理的な仕組みとの摩擦だ。ネットのアンチはEVの不備を攻めるが、その根拠は脆弱である。「使い物にならない」と断じる理由の多くは、個人の住宅にコンセントがないという世俗的な問題に帰結する。彼らは住環境の未整備を車の欠陥と混同している。
ほかにも性能や技術への不安(11.9%)、選べる車種の少なさ(15.6%)、好みのデザインがない(9.4%)といった不満がある。これは市場が成熟していないことを示しているにすぎず、技術自体の否定にはつながらない。家で充電できない人にとって、外部設備に頼る生活は車の自由さを制限する。つまりEVは作る側の努力だけで完結せず、住まいという暮らしの条件と深く関わっている。
この暮らしとのズレを解消しない限り、どれほど車が優れても、当たり前の道具として受け入れられるのは難しいだろう。しかし、これを「EVの敗北」と喜ぶアンチの視点は狭い。彼らが欠落と呼ぶものは、実際には社会の更新が個人の生活範囲にまだ届いていないだけだ。インフラが整備されれば、彼らの過激な言葉は時代に取り残された独り言として消えていく。