「消えた63日間の正体」――納車待ちで生まれた“レンタカー依存”の現実、「働けない」28%を襲う、自腹の代償
時間リスクの個人転嫁

本来であれば、車の到着が遅れても移動が止まらないような備えが、あらかじめ整っていてもおかしくない。だが現実は違う。作る側は売ることに力を注ぎ、貸す側は短期間で回す効率を重んじる。長期の貸し出しは数年契約が前提だ。そのはざまで生じた「63日間」という空白は、どこにも引き受け手がなく、置き去りにされてきた。仕組みに穴があるというほかない。
成熟した社会であれば、納車の遅れや急な故障に備えた移動の手当てが用意されているはずだろう。ところが実情は、車を持つことを前提にした一本の流れに頼りきっている。そのため、車が手元から消えたときの負担を、個人がそのまま背負うことになる。平均63日という期間は、一人でやりくりするには長すぎる。使う人の暮らしを守る手立てが足りていない。作る側の事情と、使う側の切迫した現実。その間に横たわるずれが、この空白を生んでいる。
こうしたちぐはぐさから、数か月単位で借りる市場が広がった。1日1万円の短期では負担が重く、3年縛りのリースは身動きが取りにくい。その中間に、月単位の使い方が入り込んだ。これは気まぐれな流行ではなく、納車までの不確かさが、具体的な支出として表に出てきただけのことだ。納期の遅れや代車不足、働くための車が使えない損失が、この市場を通して可視化された。平均63日間の車の不在は、生活だけでなく企業の収益にも響く。調査で示された「通勤での利用が28%」という事実は、車の有無が働けるかどうかに直結している現実を物語る。
市場の拡大は、新車が届かないという目詰まりを背景に成り立つ、いびつな姿でもある。本来なら新しい価値を生むはずの資金が、いまをしのぐために費やされる。産業の歩みはそのぶん重くなる。とりわけ地方では、63日間も車がないことが、仕事の継続を難しくする。中期レンタルは、好みで選ぶというより、働く機会を守るための負担に近い。移動を保てるかどうかが、そのまま働く力に結びつく社会である以上、この市場の広がりは、いまの日本のもろさを映している。