列車に揺られる思想──移動そのものが観光になる理由【連載】平和ボケ観光論(7)
受動的移動でも得られる自由時間

「平和ボケ」という言葉は、これまで危機感の欠如や無防備さを戒める自虐的な表現として使われてきた。しかし、人の移動を前提とする観光の視点で捉え直すと、その意味は大きく反転する。世界各地で移動に緊張と警戒がともなう現代において、防衛本能をほぼ解除した状態で滞在できる環境は、他国がどれほど投資を重ねても容易に再現できない希少な資産である。本連載「平和ボケ観光論」では、この環境をインバウンドの心身を回復させる世界屈指の安全インフラとして再定義する。自嘲の対象とされてきた「平和ボケ」という空気が、いかにして世界が渇望する「最高の贅沢」へと転じるのか。各地での体験を通じ、その価値を多角的に掘り下げていく。
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自分でハンドルを握るドライブやバイクの旅とは異なり、遠方への移動、とくに海外旅行では航空便や長距離列車など、他者に依存する交通手段を利用することが多く、移動は受動的になりがちだ。
身体が一定時間拘束されるこれらの交通機関での移動は、極端にいえば命を他者に預ける行為ともいえる。しかし一方で、その間は自分に課された日常の義務や責任から解放される貴重な時間ともなる。ある意味では、一種の“免罪符”として機能しているのかもしれない。
旅客機のファーストクラスはその最たる例で、移動時間そのものを楽しむために目的地を選ぶ旅客もいる。フライトマイルを貯めることに熱中する姿は、外から見ると本末転倒に思えるかもしれないが、それもまた旅の多様な楽しみ方のひとつだろう。
こうした移動の楽しみは、日本の新幹線のような列車移動でも日常的に味わえる。車窓を流れる景色を眺め、駅弁など土地ならではの味覚に舌鼓を打つ時間は、鉄道網が発達した日本ならではの特権である。
海外の多くの地域では、公共交通を利用する際に
・スリ
・置き引き
への警戒を怠ることはできず、常に精神的なエネルギーを消耗する。しかし日本の列車では、そのための心配をする必要がほとんどない。周囲を敵視せず、無防備な状態でいられるからこそ、余った心のゆとりを景色や読書、内省に充てられる。受動的な移動を余儀なくされるインバウンド旅行者にとっても、この安心感のある時間は、身体を休める以上の価値を持っているのだ。