日本の「移動時間」そのものが観光になる理由【連載】平和ボケ観光論(7)【連載】平和ボケ観光論(7)
クルーズトレインが示す移動の価値

聖地巡礼のような体験型の旅に加え、豪華な観光列車も高い評価を得ている。JR九州の「ななつ星in九州」は、列車内で宿泊しながら各地を巡る日本初のクルーズトレインとして2013年に登場した。海外の旅行愛好家にも広く知られ、米高級旅行誌『コンデナスト・トラベラー』の読者投票による世界最高の列車旅では、2023年に1位に選ばれた。さらに2025年には「COOL JAPAN AWARD 2025」のインバウンド部門を受賞し、その評価を確固たるものにしている。
移動を最上級のエンターテインメントへと変えたクルーズトレインは、現代の観光課題に対する有力な手段ともいえる。特定の観光地に人が集中せず、移動そのものを楽しみながら各地を巡ることで、地域への負荷を抑えつつ広域に経済的な恩恵をもたらせるからだ。
車窓を眺め、地元の食材を味わい、心を休める時間は、日本ならではの高い治安と乗客のマナーがあってこそ成立する。移動がそのまま安息の場となる贅沢は、多忙と緊張に晒される現代のグローバル市民が求める対価であり、列車が運ぶ平和な空気は、それを支える揺るぎないインフラとなっている。
過度な警戒を必要としない移動時間は、現代の旅行者にとって他では得られない価値となる。鉄道の利用が日常生活に溶け込む日本を旅することは、安全な社会の仕組みに触れる体験でもある。長距離列車で駅弁を広げ、車窓を眺めながら微睡む。こうした何気ない行為は、私たちが当たり前と思っている日常の背後にある、高度に整備された環境が生み出す資産にほかならない。
列車に揺られながら過ごすひとときの積み重ねは、インバウンドにとって心身を回復させる特別な儀式となるだろう。日本の鉄道が提供しているのは、目的地へ運ぶ機能ではなく、世界が求める平和な日常を体現する空間である。この無防備な時間こそ、旅行者が日本を訪れる理由のひとつを形作っている。