残クレは「見栄のドーピング」なのか? 年収460万で高級車に乗る現実――あなたは車の主人か管理人か
街で目にする高級車の価格は540~890万円。平均年収458万円との乖離を埋める残価設定型クレジットは、新車購入の約半数で利用され、所有から使用への価値観変化と、安全・体験を両立する合理的消費の象徴となっている。
筆者の意見
率直にいえば、残クレ高級車は
「金融の仕組みを使って社会的な地位を先取りするシステム」
だ。将来の支払い能力を担保に、今この瞬間の評価を先買いしている。ここで取引されているのは移動手段としての機能ではない。他者からの視線であり、承認という無形の報酬だ。
運転席に座る際、多くのユーザーは借りているという意識を巧みに排除する。所有権が自分にないという現実を直視すれば、あの独特の優越感が消えてしまうからだ。高い着座位置から周囲を見下ろす体験が自己評価を高め、
「自分は周囲より一段上の階層にいる」
という満足感を供給し続ける。
しかし、この一時的な優越感には厳しい制約がセットになっている。3年、あるいは5年後の契約終了時、利用者は
・返却
・再ローン
・一括精算
という冷徹な選択を迫られる。それまでの間、ユーザーは車を自由に使いこなす主人ではなく、残価を守るための管理人へと変わる。
走行距離の制約がある。走るほどに残価が削られる恐怖から、長距離の家族旅行を躊躇する。傷や汚れへの過度な神経質さも生まれる。傷一つ、汚れ一つが将来の追加支払い(精算)に直結するため、日常の利便性を自ら制限する。
これは経済的にはローンだが、実態は心理的な負債だ。車を所有しているのではない。契約条件と、失うことが怖くなった承認欲求に、自らが支配されているのだ。これはもはや「見栄のドーピング」といえるのではないか。