高さ300m! かつて上野駅に「高層化計画」があった――なぜ頓挫したのか?
かつて上野駅では、地上67階・高さ300m、総工費1兆円規模の高層複合ビル建設計画が検討されていた。交通結節点としての価値向上と商業・住宅供給を狙った構想は、バブル崩壊により幻に終わったが、現在も北の玄関口として独自の街並みと経済拠点性を維持している。
美術館運営の第三セクター化
高さだけでなく、注目を集めたのはデパートの売り場面積である。6万6400平方メートルは江東区豊洲の「ららぽーと豊洲」(6万2000平方メートル)や、上野の代表的な大型店舗だった松坂屋上野店と丸井上野店の合計面積(6万平方メートル)を上回る規模だった。この規模は、駅の交通ハブとしての価値を最大化すると同時に、商業収益を引き上げる狙いがあったことを示している。
計画は具体化しており、美術館はJR東日本、台東区、東京芸術大学の第三セクターで運営される構想だった。文化施設と駅ビルを結びつけることで、観光客や地元住民の駅利用を促し、駅周辺経済への波及効果を高める意図があった。完成は1996(平成8)年を目標としていた。
JR東日本はホテルについて「上野公園を前庭としたハイグレードな滞在空間」とし、デパートは「既存のどのデパートにも負けない、質の高い商品を扱う」と打ち出していた(『読売新聞』1989年10月8日付朝刊)。
民営化直後、駅を核とした商業・文化・宿泊の複合開発は、収益基盤の強化と都市ブランド形成を同時に狙う戦略だった。上野駅が交通結節点にとどまらず、地域経済と文化のハブとして機能する可能性を示す構想であった点は、現在の駅再開発の先駆的事例と評価できる。