高さ300m! かつて上野駅に「高層化計画」があった――なぜ頓挫したのか?

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かつて上野駅では、地上67階・高さ300m、総工費1兆円規模の高層複合ビル建設計画が検討されていた。交通結節点としての価値向上と商業・住宅供給を狙った構想は、バブル崩壊により幻に終わったが、現在も北の玄関口として独自の街並みと経済拠点性を維持している。

線路上住宅の計画

 当時の計画は規模の大きさが特徴だった。上野駅は40階程度の商業施設と住宅を備えた高層ビルに建て替えられる予定であり、駅単体での再開発としても注目される内容だった。

 しかし計画の目玉は、上野駅から西日暮里駅までの約2.6kmの線路上に住宅ビルを建設するという構想だった。新聞報道によれば、総工費は1兆円規模に達し、人工地盤の上に中規模住宅を入れた25階建てビルを数棟配置し、合計で約5000戸の住宅を供給する計画だった。さらに、公園や商業スペースも設けることが予定されていた(『読売新聞』1987年10月11日付け)。

 この構想は、都市空間を効率的に活用する試みであり、鉄道インフラを住宅開発に組み込むことで、通勤利便性の高い居住環境を生み出す意図があった。当時の都内は土地価格の高騰で不動産確保が困難となり、こうした空間活用の発想は都市開発上の有効な手段として注目されていた。首都高速道路の上や銀座の地下にビルや地下街を建設する計画も同時期に検討されており、鉄道と都市開発を結びつける発想は先進的だった。

 鉄道会社にとって、駅と線路空間を活用した住宅供給は、乗降客の定着や地域経済への波及といった効果も期待できる事業だった。都市部の交通結節点を中心とした住宅・商業一体開発は、現代の駅再開発の先駆的なモデルと位置づけられる構想だった。

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