高さ300m! かつて上野駅に「高層化計画」があった――なぜ頓挫したのか?

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かつて上野駅では、地上67階・高さ300m、総工費1兆円規模の高層複合ビル建設計画が検討されていた。交通結節点としての価値向上と商業・住宅供給を狙った構想は、バブル崩壊により幻に終わったが、現在も北の玄関口として独自の街並みと経済拠点性を維持している。

巨大駅ビルの詳細計画

上野駅(画像:写真AC)
上野駅(画像:写真AC)

 さすがに事業費が膨大な計画は実現しなかったが、上野駅の建て直し構想は着実に進んでいた。1988(昭和63)年、JR東日本は地上60階、地下3階の駅ビル建設を計画し、テナントは14階までとし、その上に会議室やラウンジ、1000室規模のホテルを設ける構想だった。当時の駅ビル建て替えとしては規模が際立ち、JR東日本は「JR東日本の顔となる駅ビルを目指す」としていた(『読売新聞』1988年3月16日付け)。

 1989(平成元)年9月には計画がほぼ固まり、台東区議会にも提示された。建設予定のビルはさらに規模を拡大し、

・地下5階
・地上67階
・高さ300.3m
・延べ床面積26万800平方メートル

に達する見込みだった。当時の日本一高い池袋サンシャインシティ(高さ240m、60階建て)や、新宿で建設中の新東京都庁ビル(243m、48階)を約60m上回る規模である。

 駅ビル全体のデザインは建築家の磯崎新氏が手がける予定で、地上12階まではデパート、レストラン、フィットネスクラブ、結婚式場などの商業フロアとし、14~16階には美術館と劇場を設ける構想だった。劇場や屋上ヘリポートの設置も報道されていた(『朝日新聞』1989年9月27日付東京地方版)。

 この計画は、鉄道事業者による収益多角化の戦略として位置づけられる。駅を乗降ポイントにとどめず、商業・文化・宿泊施設が集まるハブとして機能させることで、乗降客の滞留時間を延ばし、利用者の利便性と駅収益を同時に高める狙いがあった。

 また、駅ビルの高層化により、都心の交通結節点としての価値を最大化するだけでなく、周辺地域の経済活性化や都市ブランド向上にも寄与する可能性があった。

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