大衆食堂はなぜ「カレー」を名物にしたのか? 学生街と鉄道沿線の薄利多売が生んだ外食文化の歴史
大衆食堂、社員食堂、学生食堂など、和洋さまざまなメニューを安価に提供する食事の場を意味する「食堂」。もともと仏教用語であった食堂が外食店に採用されるきっかけとなったのが、鉄道であった。
外食業における駅前ビジネスのはじまり

このように大阪の食堂は西洋料理専門店から始まったが、和洋さまざまなメニューを安く提供する大衆食堂の原型が生まれたのは1905(明治38)年の東京において。その成立にも鉄道が関係する。
1905年、神保町に「三銭均一食道楽おとわ亭」という激安西洋料理店が開業。南海食堂では30銭であったカレーライスを、十分の一の値段3銭で提供し、オープンとともに顧客が殺到した。
おとわ亭は翌年に本郷、牛込に支店を展開する。三か所の立地に共通するのが、学生の下宿街であったということ。食欲旺盛な若い男性の固定客を多く抱えることで、薄利多売を可能としたのだ。
もうひとつの共通点が、路面電車の停車場が近くにあったこと。現在でも安さが売りの飲食チェーン店は駅前の立地を好むが、この乗降客を取り込むことによる薄利多売ビジネスはおとわ亭から始まったのだ。
おとわ亭には安さ以外にも特徴があった。西洋料理を中心としつつも、和食も提供していたことだ。
それまでの東京では、安い和食を提供する店を「一膳飯屋」あるいは「縄のれん」、安い西洋料理を提供する店を「一品料理店」もしくは「一品洋食店」とよんでいたが、いずれのカテゴリにも属さない店がおとわ亭だったのだ。
おとわ亭のような、和洋さまざまなメニューを安価に提供する外食店を食堂と呼ぶようになるのは、大正時代に入ってからである。