武田信玄はなぜ信濃を支配下に置いたのか? そのカギは「馬」にあった! 軍事・運輸に欠かせない、その歴史をたどる【連載】江戸モビリティーズのまなざし(11) 歌川広重「東海道五十三次 三島 朝霧」1833~1834年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 箱根」 水野年方「三十六佳撰 遊山 享保頃婦人」。1893年 高橋松亭「お茶の水」。1909~1916年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 沼津」 『厩坂図会』に掲載された馬を追っている様子で、馬の尻に焼き印がある。『厩坂図会』は8代将軍・徳川吉宗が相馬藩(福島県浜通り北部)の馬の飼育を調査させた報告書。相馬藩や白河藩も馬産が盛んだった(画像:馬の博物館) 武田信玄が擁した騎馬武者の復元模型。馬の体高は約120~125cm(画像:馬の博物館) 兼平賢治『馬と人の江戸時代』(画像:吉川弘文館) 上が『江戸名所図会』の浅草馬市。1834~1836(天保5~7)年に描かれたもの、下が『日本山海名物図会』の仙台馬市。藩が奨励した市で、多くの人でにぎわった(画像:国立国会図書館、国立公文書館) 関連記事 【Amazon ギフト券プレゼント】自動車DXサミットvol.4 見逃し配信中! (PR)アイティメディア/メディア・ヴァーグ 明日は「海の日」 そのルーツは“伝説の船”にあった!──東京・越中島に眠る「明治丸」をご存じか なぜ「飛脚問屋」は上方で生まれた?京都・大坂発、全国輸送網の衝撃!江戸を動脈にした物流と不正の構造とは【連載】江戸モビリティーズのまなざし(26) 江戸時代の物流現場はバトルロイヤル? 河岸問屋vs船持、利権争いの歴史をひも解く【連載】江戸モビリティーズのまなざし(25) 高報酬が支えた「江戸の物流魂」 エンジンなき時代の人力輸送! その仕組みと歴史的背景に迫る【連載】江戸モビリティーズのまなざし(24) この画像の記事を読む