「パジェロ!パジェロ!」はもう通用しない? 若者70%が免許取得も、購買意欲が低迷する根本理由
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クルマが若者文化を支えた時代

かつて家族旅行といえばクルマだった。友人と深夜に集まる手段もクルマであり、好きな人をデートに誘う方法もクルマだった。クルマは、まさに人生の舞台であった。
しかしそれから30年以上が経過し、いまや「若者のクルマ離れ」が社会問題となっている。この現象は経済的理由や都市部の公共交通利便性だけでは説明できない。若年層が関心を持たなくなった背景には、かつて広く存在したクルマ文化の喪失がある。
1990年代まで、クルマは移動手段ではなく、若者の憧れであり、アイデンティティの象徴だった。テレビCMや映画、雑誌、ゲームはクルマを魅力的に演出し、購買意欲を刺激していた。
現代の若者がほとんど知らないクルマの文化とは、日常生活で自然に触れるクルマの存在感である。父親の愛車を洗車する姿や、週末の家族ドライブといった体験が、クルマを家庭内にある当たり前の存在にしていた。
当時のクルマはメディアやファッションと密接に結びつき、「どのクルマに乗るか」はスタイルや価値観を示す手段だった。クルマ種やグレードで自分を表現することは、スニーカーやジャケットを選ぶ感覚と変わらなかった。つまり「憧れとしてのクルマ」が自然に成立していた時代である。
さらにクルマ文化は、友人関係や恋愛にも影響を及ぼしていた。誰かがクルマを手にすれば仲間が集まり、深夜ドライブや音楽の共有が日常的に行われた。デートに使えるクルマを持つことが「一人前」と見なされる空気も存在していた。
クルマは家族の思い出を運ぶ重要な役割も担った。海や山へのレジャー、長距離ドライブ、家族旅行の記憶のなかで、クルマは移動手段ではなく、時間と記憶を包む容器でもあった。
そして何より、クルマは「所有 = 自由」の象徴であった。免許を取得し、クルマを手にした瞬間から、行き先も時間もすべて自分次第。親や公共交通の時刻表に縛られない自分だけの世界を手にすることが、当時の若者にとって大きな目標であり、通過儀礼でもあった。