なぜ日本の鉄道オタクは“孤独な消費者”になったのか──「鉄道趣味」の社会的接続をめぐる国際比較【連載】純粋鉄オタ性批判(4)
文化担い手不在の危機

日本の鉄道趣味がひとり消費に傾いた背景には、鉄道趣味誌の枠を超えてインターネットの普及があるだろう。SNSやYouTubeの浸透により、情報が私的に囲い込まれ、共有よりも私物化が進行した。
教育にすべての原因を求めるつもりはない。ただ、日本と欧米のインターネット教育の格差は無視できない。バーチャルの世界を活用する前に、リアルな社会での協調や協働の価値を伝える教育が、日本ではほとんどなされてこなかった。その結果、スマートフォンやPC画面を通じて拡がるネット空間において、公共インフラである鉄道を
「あたかも自分のもののように扱う万能感」
が生まれた。さらに「自分だけが知っている」という根拠不明な優越幻想が、多くの鉄道オタクに芽生えた。古参オタクには、高度成長期の「撮影第一主義」が刷り込まれている。そこにインターネットという増幅装置が加わり、万能感と優越感はさらに強化された。こうした歪んだ感覚が、世代を超えて連鎖している。
日本と海外の鉄道オタクの違いとして、特筆すべきは「参画感」の有無だ。あえて参加感ではなく参画感という言葉を使うのは、
「鉄道文化を育む主体として自発的に関与する態度」
を強調するためである。近年の日本では、鉄道事業者による増収策が体験イベントの主軸となり、オタクは並ばされ、撮影させられるだけの受動的な存在にとどまっている。これでは文化の担い手としての能動性は育ちにくい。一方、欧米では
・鉄道模型の運転会
・保存鉄道の運営支援
・地域住民との協働
など、オタクが創造側として関わる構造が根付いている。共に創ることが鉄道文化の自然な一部となっている。
日本の鉄道事業者は経営面で厳しい状況にある。だからこそ、オタクと共創する姿勢こそが、持続的な鉄道文化形成への鍵となる。リアルな社会での接続を重視する教育の再構築も不可欠だ。鉄道オタクを鉄道文化の創造主体として活かすには、内部の意識改革だけでは足りない。
「外部環境からの矯正的な働きかけ」
もまた、重要な構成要素となる。