なぜ「西武新宿駅」は新宿駅から400mも離れているのか? 「徒歩5分」の断絶が生んだ都市構造の変化

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都心に残された「400mの断絶」。乗降客数世界一を誇る新宿において、西武線はなぜ最後まで接続されなかったのか。13km・65m地下構想も頓挫し、都市構造までも変えた未接続の深層に、制度・資本・合理性が交錯する戦後都市の縮図が浮かび上がる。

工費倍増で頓挫した延伸構想

西武新宿駅(画像:写真AC)
西武新宿駅(画像:写真AC)

 1960年代の後半以降、西武鉄道は地上での新宿駅への接続が難しいと判断した。そこで、地下を通る形での乗り入れ計画に方針を変えた。

 1988(昭和63)年には国から正式な認可を受けた。建設にかかる費用を運賃に上乗せする形で準備が進められた。

 この計画では、上石神井駅から新宿まで約13kmのトンネルを造る予定であった。トンネルは最大で地表から65mの深さとなる見込みだった。西武新宿駅から約300m南の地点に新しい地下駅を設け、JR新宿駅に近づける構想であった。

 しかし1990年代に入ると、計画は大きく変わった。地下を調べたところ、水位が高いことが分かり、工事費は当初の2倍にふくらんだ。さらに、バブル経済の崩壊によって景気が悪化した。利用者も減り、資金を集める力も弱まった。その結果、1995(平成7)年にはこの計画は延期された。

 一時は、旧国鉄の貨物駅跡地(現在のタカシマヤタイムズスクエア)に新しい駅をつくる案も出たが、これも実現しなかった。

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