「焼売といえば崎陽軒」…ではなかった? “ホタテ入り”で名を馳せた幻の店が築いた横浜焼売の原点とは

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鉄道旅行の楽しみのひとつが駅弁。明治時代から駅弁は存在していたが、その中には変わり種の駅弁も存在した。現在は忘れ去られてしまった戦前の駅弁の数々を紹介する。

横浜駅のホタテ貝柱入り「シウマイ」といえば博雅亭

博雅亭の広告。当時の横浜では焼売のことをシウマイと呼び習わした(画像:近代食文化研究会)
博雅亭の広告。当時の横浜では焼売のことをシウマイと呼び習わした(画像:近代食文化研究会)

『食道楽 昭和5年11月号』所収の近藤飴ン坊「舌 = 東海道を行く」は、品川から大船までの各駅の駅弁・名物を紹介する記事。横浜駅における名物は博雅亭の焼売。

「燒賣 これは博雅堂(原文ママ)が入れてゐる」

 1899年、居留地(横浜中華街)内に居住が制限されていた在日中国人が、居留地以外に住み商売することが可能となった。その年にいち早く伊勢佐木町に店を構えた、日本人向け中華料理店の老舗が博雅亭だ。

「横浜・伊勢佐木町の「博雅亭」は、横浜の焼売の元祖といわれる老舗である」(管原幸助『日本の華僑』)

 博雅亭が有名となったのは、二代目が事業をついでから。大正時代初期に日本人好みのエビ入りのシウマイ(当時の横浜ではシュウマイではなくシウマイと表記した)を開発し大ヒット。焼売といえば横浜、焼売といえば博雅亭との評判を確立した(管原幸助『日本の華僑』)。

 1916(大正5)年伊勢佐木町生まれ、後に有隣堂社長となる松信泰輔さんは、「なにしろ大きくて、貝柱がいっぱい入っていてすごくおいしかった」と、博雅亭の焼売にはホタテの貝柱が入っていたと証言する(『聞き書 神奈川の食事』月報46)。

 現在横浜の「シウマイ」といえば崎陽軒だが、食通の雑誌『食道楽』全巻を読んでも、でてくるのは博雅亭ばかりで、崎陽軒はその名前すら出てこない。

 再び松信泰輔さんによると、駅の食堂を経営していた崎陽軒が焼売で有名になったのは戦後のこと、シウマイ弁当を発売してからのことだという。

「横浜のシュウマイが全国的に有名になるのに一役買ったのが崎陽軒です。社長は野並さんといいますが、戦前までは横浜駅で食堂をやっていたのです。それが戦後、シュウマイ弁当を始めて業績を上げました」

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