「焼売といえば崎陽軒」…ではなかった? “ホタテ入り”で名を馳せた幻の店が築いた横浜焼売の原点とは
高級洋食だったハム弁当

大船駅の名物駅弁といえばハムサンド。日本ではじめてハムの製造が始まった鎌倉と地理的に近いことから、当時(1899〈明治32〉年発売開始)としては珍しい、ハムサンドの駅弁が生まれた。
大船駅にはかつて、「ハム弁当」という駅弁もあった。役者・古川緑波によると、「新しいハムに、トマトライスという、気の利いたものでしたが、もう今は、ありません」(『ロッパ食談完全版』)。
チキンライスの鶏肉をハムに置き換えたものであり、戦前はこれをハムライスとよんだ。現在はあまり見なくなったが、かつてのハムライスは、チキンライス、カレーライス、ハヤシライスと同じくらいありふれた洋食であった。
そしてハムライスとチキンライスは、主に牛肉を使っていたカレーライスやハヤシライスよりも高価な料理であった。というのも戦前は、牛肉よりも鶏肉やハムのほうが値段が高かったからである。
大船駅の駅弁向けにハムを製造していた鎌倉ハム富岡商会は、ご飯に混ぜるだけでハムライス・チキンライスができる、「ハムライスの素」「チキンライスの素」という缶詰を発売していた。
1926(大正15)年の広告には、ハムライスやチキンライスは料理店で40~50銭の値段がすると書かれている。大衆食堂のカレーライスが10銭前後、デパートの食堂のカレーライスが30銭前後の時代なので、ハムライスやチキンライスが高級品であったことがわかる。
手間隙がかかる伝統的製法のハムは、値段が高くなるのは当然のことなのだ。かつてのハムが持っていた高級感は、中元や歳暮などの贈答品にハムが選ばれていることにその名残がある。
ハムの高級感が失われたのは、非伝統的な安いプレスハムが普及したからである。かつて大船駅を訪れた人は、ハムサンドやハム弁当の高級感に旅情を感じていたのである。