「焼売といえば崎陽軒」…ではなかった? “ホタテ入り”で名を馳せた幻の店が築いた横浜焼売の原点とは

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鉄道旅行の楽しみのひとつが駅弁。明治時代から駅弁は存在していたが、その中には変わり種の駅弁も存在した。現在は忘れ去られてしまった戦前の駅弁の数々を紹介する。

熱々のドンブリ駅弁

シューマイ(画像:写真AC)
シューマイ(画像:写真AC)

 鉄道旅行の楽しみのひとつが駅弁。駅弁は明治時代から存在していたが、一般的に食べられていた駅弁は、各駅とも同じ名前の「普通弁当」「並弁当」という駅弁であった。

 その中身はどこの駅においても画一的で、玉子焼き、かまぼこ、焼き魚、煮しめなどを盛り合わせた、いわゆる幕の内弁当であった。

 しかしながら鉄道網が各地に延伸し、鉄道旅行が盛んになるにつれ、個性的な駅弁も登場するようになる。戦前に存在したが、現在は忘れ去られている駅弁について以下に紹介したい。

 鉄道旅行のエッセイ集、1901(明治34)年の饗庭篁村(あえば こうそん)『旅硯』にはさまざまな駅弁が登場するが、なかでも個性的なのは小山駅の親子丼。

 冷えた親子丼など食べられたものではないのでは、と心配しながら小山駅に到着すると、「プラツトホームを見れば其処にドンブリの料理場ありて勢ひよく火を起こし盛んに鍋を暖め」。

なんとプラットホームに調理場があって、できたて熱々の親子丼を提供していたのであった。

『食道楽 昭和13年11月号』所収の座談会「秋の夜四方山話」において、各地の名物駅弁が話題にあがっていた。米原や大宮では「鰻丼」が名物となっており、丼ものの駅弁というのは各地で名物になっていたようだ。

 小山駅のように、熱々の丼を汽車に持ち込む駅弁もあった。上記座談会に登場する、東北の「白河の先」の駅の「蕎麦」。

 そばといっても、立ち食いそばではない。丼ごと車内に持ち込む、駅弁としてのそばだ。当時はプラスティック容器がないので、陶器製の丼に入ったそばを車内に持ち込んだ。丼は次の駅で回収され、逆方向の列車で駅のそば屋に送り返されたそうだ。

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