タクシー業界に「ベトナム旋風」は巻き起こるか? 「外国人は地理が弱い」「接客マナーが合わない」は時代遅れ? 10年で運転手4割減の現実を考える
AIと教育で打開策

外国人ドライバーの採用が広がる一方で、依然として払拭されないのが社会に根を張る偏見の存在である。言語や習慣の違い以上に、「異質な他者」に対する漠然とした不信が、制度の運用を実質的に鈍らせている。乗客の一部には、
「外国人は日本の地理に疎い」
「言葉が通じにくい」
「接客マナーが感覚的に合わない」
といった先入観が存在し、それが現場での誤解やトラブルの温床となっている。
だが、こうした認識の多くは、業務の中身を観察することで容易に修正可能である。まず、地理的知識については、アプリによるナビゲーション技術の精度が年々高まっており、もはや「地理に詳しいか否か」は職能の本質ではなくなりつつある。タクシー配車アプリや翻訳端末の導入によって、言語の障壁も技術的にほぼ解消可能なフェーズに入っている。むしろ、日本語に熟達しきったドライバーであっても、目的地の聞き間違いや案内ミスは発生する。要するに、
「日本人だから安心」
「外国人だから不安」
という直感的な評価自体が、サービスの質を担保する指標としてすでに機能していない。
接客態度についても同様である。文化の違いがトラブルを生むとされがちだが、それは翻って、何を「適切な接客」とみなすかの基準が曖昧であることの裏返しにほかならない。日本のタクシー業界では、
・乗客との適度な距離感
・無言の気遣い
・丁寧すぎる物腰
といった様式がしばしば重視される。しかし、その様式は、国内ですら地域差があり、ましてや多様な来訪者を迎える都市部においては、もはや画一的に再現されるべきマニュアルではない。利用者の価値観が多様化するなかで、サービスの評価軸をどこに置くべきか。そこに目を向けない限り、誰が運転席に座るかによって生まれる摩擦は繰り返されるだろう。
さらに、運転技術に対する懸念は、日本の都市交通が求める運転の“質”を過剰に理想化することで生じている。ベトナムの都市部では、圧倒的な交通密度のなかを縫うように走る技術が日常であり、判断力・注意力・反射力において、日本のドライバーと比較して劣るどころか、むしろ異なる技能体系を備えているとさえいえる。重要なのは、それをどのように日本の交通法規と制度に適合させるかのプロセスであって、出自によって一律にリスクを評価することではない。日本の交通行政においては、この点で制度設計と運用現場との認識の乖離が温存されており、研修制度の透明化や評価基準の明文化が急がれる。
人手不足の現場では、「誰がやるか」よりも
「どうすれば機能するか」
が問われている。社会に求められているのは、文化的に“違う”ものを“馴染ませる”ことではなく、交通インフラの一部として“働ける形に整える”ことに尽きる。その試行錯誤こそが、今後の交通サービスに求められる応答である。