「容姿端麗」「愛嬌あり」 キャビンアテンダントの“女性らしさ”はなぜ長年「商品化」されてきたのか? フジテレビ女子アナ問題を通して考える! もはやアイドル化の指摘も

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戦後、日本社会は女性の職業を「商品」として扱い続けてきた。特にCAや女子アナは「企業の顔」として消費され、特に90年代以降、若さとルックスが価値の中心となった。しかし、近年はこの構造に変化の兆しも見える。例えば、フジテレビの女子アナ採用を巡る問題は、単なる一企業の課題ではなく、メディア業界全体の構造的問題を浮き彫りにする。今、女性のキャリアは本当に「商品」から解放されつつあるのか──。

採用基準の実態

ダグラスDC-3 の前に立つJALスチュワーデス。1951年8月27日撮影。
ダグラスDC-3 の前に立つJALスチュワーデス。1951年8月27日撮影。

 1985(昭和60)年の男女雇用機会均等法以前、働く女性に対する社会の認識は現在とは全く異なっていた。戦前の求人広告には

「女子秘書課書記、年齢20歳以上25歳位愛嬌ある社交的麗人文章堪能の能筆家」

などがあり、このような意識は戦後も変わらず続いていた。

 そのため、女性たちの憧れの職業であったCA(当初は「エアガール」)の扱いも時代に即したものであった。戦後に創立されたJALが「エアガール」の募集広告を新聞に掲載したのは1951年7月のことだった。その広告には次のように記されていた。

「資格 20―30歳 身長一五八米以上 体重四五瓩―五二、五瓩迄 容姿端麗 新制高校卒以上 英会話可能 東京在住の方 採用人員12名 履歴書写真上半身全身各一 身長体重記載同封郵送」

「容姿端麗」という文言からも、この職業は最初から「見られる存在」として設計されていたことがわかる。応募者は約1300人に達した。履歴書審査で175人、面接で40人まで絞られ、最終的な採用者は15人だった。この厳しい選考の実態は、当時発行されていた女性誌『新女苑』1951年11月号の「あこがれエアガールに訊く」という座談会でも語られている。

「最初はやはり、身長が幾らで、容姿端麗で、英語が話せて、東京在住という人たちが履歴書を出しまして……」

 この職業への注目度の高さは、意外な形でも表れていた。1958年から翌年にかけて、JALでは当時のスチュワーデス(現CA))の4分の1にあたる30人が一斉に退職した。その理由は全員が結婚だった。当時、スチュワーデスには独身であることが求められていたが、それ以上に注目度の高さから縁談が殺到したのである。

「「嫁をもらうならスチュワデス」という合い言葉がサンフランシスコやホノルルなど日航ラインのある外国都市の日本商社や、船会社の独身青年の間にはやっているという。(中略)結婚退職者の数をみると、一期から十期までの採用者総数143名に対して、約85名。縁談ケースの内訳は、家庭本位の結婚、職場結婚、国外商社員との結婚、外国人や二世たちとの結婚、と、四つに分けられるが、いずれの場合も、平凡な見合い結婚はきわめて少なく、恋愛結婚か、男の側の熱心な申込みによるものが大部分だったという」(「嫁をもらうならスチュワデス」『週刊女性』1959年2月8日号)

この記事からも明らかなように、CAという職業は「一時的な華やかさ」を前提にしたものとして認識され、制度設計されていた。

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