広島と愛媛の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?
高齢化率70%超の島の未来
実は、安芸灘諸島連絡架橋の先をつなぐ計画は存在していた。安芸灘諸島連絡架橋事業として、当初は8本の橋が計画されていた。1979(昭和54)年に下蒲刈島と上蒲刈島を結ぶ蒲刈大橋が完成し、その後も豊浜大橋(1992〈平成4〉年)、平羅橋・岡村大橋(1995年)、中ノ瀬戸大橋(1998年)、安芸灘大橋(2000年)、豊島大橋(2008年)と次々に開通。しかし、計画されていた8本のうち、7本までしか実現しなかった。
最後の1本となるはずだった岡村島~大崎上島間の「8号橋」は、事業化されないまま現在に至る。広島県の安芸灘諸島連絡架橋事業の公式ウェブサイトには、岡村島以東への架橋計画が地図上で示されているものの、8号橋については「未定」と記されるのみ。その先の大崎上島や大三島への架橋構想に関しては、一切言及がないのが現状だ。8号橋が実現しない背景には、
「費用対効果」
の問題がある。確かに、これまでに完成した橋は島民の生活を大きく改善してきた。特に、天候に左右されない24時間の交通手段を確保できたことは、島の生活を一変させた。この点について、豊島大橋の開通時を取材した『中国新聞』(2008年11月17日付)は次のように報じている。
「新しく陸路で結ばれる豊島、大崎下島には計約四千四百人が住む。十八日の開通翌日には、隣り合う上蒲刈島へ渡るフェリーや高速船の航路は廃止となる。島民の交通手段は車やバスに切り替わる。天候によっては船が出なかった離島の生活は、夜間の救急搬送や島外からの消防車の応援が容易になり、安心感は確実に増す(中略)豊、豊浜両町の患者も救急車だけで病院へ搬送できる。七十歳以上なら市の敬老パスを利用して百円で市中心部へ行くことができ、通院の負担も減る。高齢化率の高い安芸灘諸島で、豊島大橋が安心安全につながることが何より喜ばしい。産品の陸路輸送で新しい流通販売のルートができれば島の産業が活性化する。市もブランド化を進めるタチウオの集出荷施設を整備するなど支援したい」
架橋は確かに離島の利便性を向上させた。24時間利用可能な交通手段の確保により、緊急医療へのアクセスが改善され、農水産物の安定輸送も可能になった。観光面でも一定の効果があったとされる。
しかし、こうした利便性の向上は、離島の衰退を止めるには至らなかった。数字はその厳しい現実を示している。例えば、蒲刈町(蒲刈島)の人口は2005年9月の2557人から2024年9月には1364人とほぼ半減。豊町(大崎下島)も同期間に2042人から1396人へと減少を続けている。
さらに深刻なのが高齢化だ。2020年の国勢調査によれば、豊浜地区では高齢者比率が72.2%、豊地区が69.1%、蒲刈地区も63.2%と、驚くべき水準に達している。本土側の呉市でさえ人口が20万人を割り込み、衰退が懸念される状況だが、島しょ部の現状はさらに厳しい。
その結果、大崎下島と広島市の広島バスセンターを結んでいた「とびしまライナー」は、2023年に利用客減少を理由に運休。2024年には廃止届が提出された。このデータが示すように、架橋は日常生活の利便性を高めたものの、
「離島振興」
という本来の目的は達成できていない。なぜ、架橋は地域の活性化につながらなかったのか。せっかく本土と接続した島が振るわずに衰退している理由とは何なのか。