「見ると幸せになる」 黄色い新幹線、ドクターイエローの“幸せ伝説”はいつ広まったのか?

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技術の進化により、東海道新幹線の「ドクターイエロー」が2025年1月末に引退する。「見ると幸せになる」と親しまれた黄色い試験車両の歴史と伝説をたどる。

初出から定着までの歩み

ドクターイエロー(画像:写真AC)
ドクターイエロー(画像:写真AC)

 新聞でドクターイエローという呼称が初めて登場したのは、『読売新聞』1991(平成3)年2月27日付け夕刊だった。「新幹線の守り神ドクターイエローに試乗 安全確認する『走る実験室』」と題されたこの記事では、名前の由来についてこう説明している。

「正式名は電気軌道総合試験車。ボディーが黄色いのでこう呼ばれる。東海道・山陽新幹線の博多開業に合わせてデビュー以来十七年になるが、十日に一回、夜間に走るためほとんど知られていない」

この記事から、当時すでにドクターイエローという愛称が使われ始めていたことがわかる。専門誌での初出は、それから5年後、1996年12月号の日本鉄道電気技術協会『鉄道と電気技術』に掲載された川畑亨氏の論文

「『ドクターイエロー』の大改造」

だった。この論文では、北陸新幹線開業を控え、東北・上越新幹線の試験車が急勾配区間に対応するための改造が解説され、車両の名称として次のように記されている。

「電気・軌道総合試験車(通称ドクターイエロー)」

これらの記録から、ドクターイエローという愛称が1990年代に徐々に市民権を得ていったことがわかる。名付け親は明確ではないが、この時期に広まり、定着していったようだ。

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