「見ると幸せになる」 黄色い新幹線、ドクターイエローの“幸せ伝説”はいつ広まったのか?
技術の進化により、東海道新幹線の「ドクターイエロー」が2025年1月末に引退する。「見ると幸せになる」と親しまれた黄色い試験車両の歴史と伝説をたどる。
半世紀を疾走
東海道・山陽新幹線の点検車両「ドクターイエロー」が、まもなく歴史に幕を下ろす。正式名称は「新幹線電気軌道総合試験車」。この車両は運行スケジュールが公開されておらず、いつ走るのかわからないミステリアスな存在として、半世紀以上にわたり鉄道ファンを魅了してきた。
その神出鬼没な姿から
「見ると幸せになる」
ともいい伝えられてきた。今回は、引退を前にその伝説の始まりと歴史を振り返ってみよう。
誕生の背景と進化
ドクターイエローは、営業用の新幹線車両と同じ条件で走行し、軌道や電気・信号設備の状態を点検するための車両だ。
初代の導入は、東海道新幹線が開業した1964(昭和39)年。当時の世界最速だった時速210kmの走行が設備に及ぼす負荷を考慮し、営業用の0系試験車を改造して導入された。
そもそも、なぜ「イエロー」なのか――。
黄色い車体は夜間運行時の視認性を考慮して選ばれたといわれているが、実際の資料は残っていない。その後、東北・上越新幹線でも同様に黄色い試験車が導入されたが、現在の試験車「East i」は白地に赤のデザインに変更されている。試験走行が昼間中心となった現在、あえて黄色である必要はないはずだ。それでも東海道・山陽新幹線では、60年以上にわたり黄色い車体が愛され続けてきた。
しかし、技術の進歩により、現行の営業列車「N700S」で同様の検査が可能となり、JR各社は引退を決定した。東海道新幹線の車両(T4)は2025年1月末、山陽新幹線の車両(T5)は2027年以降に役割を終えることとなる。