「赤字だから仕方ない」 そんな“ローカル線廃止論者”に、私が1ミリも同意できないワケ

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近年、赤字ローカル線の廃止論が加速するなか、効率性一辺倒の議論が地域社会の価値を見失わせている。特に久留里線の例では、1日60人の利用者と高い営業係数が廃止理由に。しかし、合理化の先に潜む「鉄の檻」の問題を考えると、公共交通が持つ社会的意義を再考する必要がある。

効率性を超えた価値創造

ローカル線(画像:写真AC)
ローカル線(画像:写真AC)

 注目すべき反例として、鳥取県の若桜鉄道の事例がある。

 この鉄道は、効率性だけに囚われないアプローチで新たな可能性を切り開いた。2016年度には利用者数が約31万人にまで減少していたが、地域全体で収支改善にとどまらず、文化的価値や社会的つながりの創出にも挑戦した。

 レトロな駅舎や橋梁を文化財として活用し、観光列車を導入することで、2018年度には利用者数を約35万人まで回復。単なる輸送機関としての役割を超え、地域の核として機能するようになった。

 さらに、沿線の9駅では住民による応援団が中心となり、祭りの開催、地域広報誌の発行、特産品販売所の開設などの取り組みが進められた。この鉄道は、地域コミュニティの結びつきを強化する場として、新たな公共的価値を生み出している。

 若桜鉄道の事例は、ウェーバーが警告した「鉄の檻」からの解放の一例といえる。単なる効率性の追求に終始するのではなく、文化的価値や社会的つながり、さらには地域の未来を見据えた取り組みが実現された。

「使う人がいなくなったら終わり」という発想は、「鉄の檻」的な思考そのものだ。それに対し、

「使う人を増やすことで未来をつくる」

という視点は、豊かな公共的価値を創造する可能性を示している。若桜鉄道の取り組みは、その可能性を具体的に形にした成功例といえるだろう。

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