「赤字だから仕方ない」 そんな“ローカル線廃止論者”に、私が1ミリも同意できないワケ
近年、赤字ローカル線の廃止論が加速するなか、効率性一辺倒の議論が地域社会の価値を見失わせている。特に久留里線の例では、1日60人の利用者と高い営業係数が廃止理由に。しかし、合理化の先に潜む「鉄の檻」の問題を考えると、公共交通が持つ社会的意義を再考する必要がある。
公共交通の価値再定義の必要性

ローカル線廃止を主張する人たちに伝えたい。あなたたちの主張は効率性や数字に偏りすぎている。しかし、過度に合理化と効率を追い求めることが、私たちを「鉄の檻」に閉じ込めることになることを、もう一度考えてほしい。
鉄道が廃止されることで失われるのは、単なる移動手段だけではない。それは、地域のコミュニティや文化、社会的つながりといった目に見えない価値が一緒に消えてしまうことを意味する。
赤字だからといって、すぐに廃止することが最適解ではないことを認識すべきだ。鉄道は単なる移動手段ではなく、地域の基盤を支える重要な要素であり、将来への投資だ。
地域が自らの未来を切り開くためには、効率性と公共性を両立させる方法を探る必要がある。そのためにこそ、新しい価値観を持ち、ローカル線の役割を再評価すべきだ。
「赤字だから仕方ない」――そんな線廃止論者に、私は1ミリも同意できない。