昭和の日本人はなぜ海外で“暴走”したのか? 90年代まで続いた「売春ツアー」、経済大国の蛮行が現代に問いかけるものとは
1960年代、日本の経済成長とともに、売春ツアーが東南アジアでまん延。現地女性を商品化し、週刊誌で暴露されると、国際社会から非難が殺到。経済大国の傲慢が生んだ悲劇は、今のインバウンド問題にも影響を与え続けている。
東南アジアで発生した最悪の人権侵害

売春ツアーが引き起こした最も深刻な人権侵害は、東南アジアで発生している。
1980年代以降、タイのバンコクを中心に東南アジアの都市は、安価な性的サービスを求める観光客でにぎわい始めた。特に深刻だったのは、未成年、特に10代の少女たちが売春を強いられるという問題である。
日本の週刊誌『週刊大衆』1982(昭和57)年1月25日号では、自民党の山口シズエ参議院議員がタイを訪れ、10代前半、さらには10歳にも満たない少女たちが売春を強いられている実態を報じた。この報道により、日本でも東南アジアにおける児童売春の深刻さが知られるようになった。
しかし、この問題に対する国際的な取り組みは遅々として進まなかった。現地政府の法整備や取り締まりは不十分なまま、東南アジアは世界中の変態性欲者が少女を買う場所として認識されるようになっていた。