昭和の日本人はなぜ海外で“暴走”したのか? 90年代まで続いた「売春ツアー」、経済大国の蛮行が現代に問いかけるものとは

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1960年代、日本の経済成長とともに、売春ツアーが東南アジアでまん延。現地女性を商品化し、週刊誌で暴露されると、国際社会から非難が殺到。経済大国の傲慢が生んだ悲劇は、今のインバウンド問題にも影響を与え続けている。

江戸時代から続く旅行と売春の関係

1919(大正8)年発行の地図(左)。「内藤新宿町」の名前が残っている(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)
1919(大正8)年発行の地図(左)。「内藤新宿町」の名前が残っている(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 日本における売春と旅行の関係は、現代に始まったものではない。特に注目すべきなのは、現在の新宿の前身となる内藤新宿の発展過程である。1698(元禄11)年に甲州街道の宿場町として誕生した内藤新宿は、江戸の町民が手軽に“遊び”に出掛ける場所として栄えた。当時、宿場町には

・旅籠(はたご):江戸時代の宿泊施設で、旅行者が休息を取る場所。食事や寝床を提供し、宿泊料金を取る営業形態だった。

・茶屋:休憩や食事を提供する場所で、茶を出す店を指す。旅の途中で一休みする場所として使われ、軽食やお茶が提供されることが多かった。

・遊女屋:江戸時代の売春を行う施設。遊女と呼ばれる女性たちが接客をし、客との交渉や接待を行う場所だった。

が並び、江戸の人々の欲望を満たす場所となっていた。

 旅行先での性的サービスという文化は、明治以降も形を変えて続いていく。その代表的な例が温泉地における風俗産業である。現代でも多くの温泉地では、ピンクコンパニオンを派遣するサービスやソープランドが営業を続けており、これは温泉地が古くから非日常的な性的快楽を求める人々の目的地として機能してきた歴史的な証拠である。

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