昭和の日本人はなぜ海外で“暴走”したのか? 90年代まで続いた「売春ツアー」、経済大国の蛮行が現代に問いかけるものとは

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1960年代、日本の経済成長とともに、売春ツアーが東南アジアでまん延。現地女性を商品化し、週刊誌で暴露されると、国際社会から非難が殺到。経済大国の傲慢が生んだ悲劇は、今のインバウンド問題にも影響を与え続けている。

経済大国の行動

筒井康隆『農協月へ行く』(画像:KADOKAWA)
筒井康隆『農協月へ行く』(画像:KADOKAWA)

 1960年代後半から1970年代にかけて、経済大国となった日本人の海外での行動は世界中で問題視された。団体で押し寄せ、大声で騒ぎ、写真を撮り、現地の習慣や文化を無視する態度が各地で批判を浴びた。

 1979(昭和54)年に発表された小説家・筒井康隆の『農協月へ行く』は、まさにその時期の日本人観光客の振る舞いを風刺的に描いた作品である。作中では、月旅行に出掛けた一行が宇宙船内でカラオケを要求し、公共の場で陰茎を露出するなど、無遠慮な行為を繰り返す。舞台がSFであるものの、これは実際の日本人観光客の行動に基づいたものだった。当時、日本人観光客は現地で物価の安さを盾に

「金を払えば何をしてもいい」

という傲慢な態度を取っていた。前述の記事でも触れたように、外国人インフルエンサーが神社の鳥居で懸垂をしている様子をSNSに公開し、炎上した事件があった。この行為は、過去の日本人観光客による迷惑行為を思い出させるものだった。

 1988年、バチカンのサン・ピエトロ寺院では、日本人観光客が聖人の像のポーズで記念撮影をし、ミサ中に騒ぎ、ざんげのポーズで遊ぶなどの振る舞いが問題視された。このため、バチカンは

「静粛令」

を発令する事態となった。このような振る舞いの背後には、経済的優位性に対する意識が色濃く反映されていた。特に、自国より経済的に劣位だと感じた国々を訪れると、その傾向が一層強まる。最も顕著に表れたのが、「売春ツアー」という形であった。

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