昭和の日本人はなぜ海外で“暴走”したのか? 90年代まで続いた「売春ツアー」、経済大国の蛮行が現代に問いかけるものとは

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1960年代、日本の経済成長とともに、売春ツアーが東南アジアでまん延。現地女性を商品化し、週刊誌で暴露されると、国際社会から非難が殺到。経済大国の傲慢が生んだ悲劇は、今のインバウンド問題にも影響を与え続けている。

1960年代、売春ツアーの拡大

現在の台湾(画像:Pexels)
現在の台湾(画像:Pexels)

 観光と性的サービスの結びつきは、古今東西を問わず普遍的な現象だ。売春を目的とした旅行は世界各地で見られ、19世紀末のパリの歓楽街や20世紀初頭のベルリンのナイトライフなど、多くの歴史的事例が存在する。

 日本では、高度経済成長期を迎えた1960年代以降、こうした性的観光の目的地が国内から海外へと大きく転換していった。その背景には、

・急激な円高による日本人の購買力の向上
・アジア諸国との経済格差の拡大

があった。安価で非日常的な体験を求める日本人観光客は、より「コストパフォーマンスのよい」アジアの国々へと目を向けるようになったのである。

 戦後、日本人の海外での売春ツアーは1960年代に台湾で盛んになったとされる。台湾がその地となった理由は、売春に対する取り締まりが非常に緩やかだったからである。台湾には、戦後の日本では廃止された公娼(こうしょう)制度が地方自治体の裁量で存続していた。

 この制度が廃止されたのは1997年、当時市長だった陳水扁が「台北市娼妓管理規則」を廃止してからである。しかし、この政策には、業界に従事していた女性たちから強い反発があった。現在の法律では売買春は違法だが、指定された区域内では許可されている。

 こうした事情もあり、台湾の新北投温泉などの歓楽街は、売春目的で訪れる日本人観光客でにぎわうようになった。その影響で、市街地の歓楽街にも日本人相手の性的サービスを提供する店が増加した。台北市内の中山北路には、キャバレーやダンスホールが並び、女性が性的なサービスを提供する喫茶店や理髪店も多く存在した。日本人が売春目的で訪れることが増えたため、1969年には台湾の立法院で売春防止法の制定が検討されるほどだった。

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