昭和の日本人はなぜ海外で“暴走”したのか? 90年代まで続いた「売春ツアー」、経済大国の蛮行が現代に問いかけるものとは
1960年代、日本の経済成長とともに、売春ツアーが東南アジアでまん延。現地女性を商品化し、週刊誌で暴露されると、国際社会から非難が殺到。経済大国の傲慢が生んだ悲劇は、今のインバウンド問題にも影響を与え続けている。
「韓国旅行」が示す日本の暗黒面

この状況は長期間続き、その影響は日本社会にも深く浸透していた。実際、2000年代初頭まで、日本では「韓国旅行」という言葉が、ほぼ自動的に売春目的の渡航を連想させていた。この認識は決して誇張ではなく、1973(昭和48)年10月の統計によると、韓国に訪れた外国人観光客52万581人のうち、なんと7割が日本人男性だった。
この現象に対する韓国民の怒りは次第に表面化し始めた。朝鮮問題研究家の伊達俊太郎は、『婦人公論』1974年2月号に興味深いリポートを寄せている。当時、朴正熙政権に反対する学生運動が活発化していたが、その集会では必ずといっていいほど、キーセン観光への怒りの声が上がっていたという。特に印象的だったのは、学生たちが
「キーセン目当ての日本人観光客を玄界灘の向こうにたたき出せ」
と叫んでいた場面の描写だ。この激しいスローガンには、
・経済的搾取
・民族の尊厳を踏みにじる行為
に対する若者たちの痛切な抗議の声が込められていた。リポートの最後には、当時の日韓関係の歪みを象徴する重要な指摘が記されていた。
「私がいくら叫んでも、おそらく日本の航空会社はソウル行きジャンボの便数を減らしたりはしないだろう。ソウルの観光業者が店を閉めるようなことも考えられまい。大小の旅行社が、おとくいさんたちに自粛を呼びかけるとも思えない」
この記述が示唆するのは、キーセン観光が
「日本の観光業界全体を支える重要な収益源」
となっていた現実だということだ。
・航空会社
・旅行会社
・現地の観光業者
など、業界全体がこの“グレーな商品”から利益を得ていた。表向きには語られない不都合な真実であり、実際には公然の秘密として機能していたのだ。