ブラジルのフラッグキャリア「ヴァリグ航空」はなぜ破綻したのか? かつては日本~ブラジルを24時間で運航、その栄光と悲劇を振り返る

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ヴァリグ・ブラジル航空は、かつて世界でも有数の長距離路線を持ち、日本とブラジルを24時間で結んでいた。しかし、経営不振と競争の激化により、2004年に撤退してしまった。歴史あるフラッグキャリアの消滅は、航空業界の厳しさを物語っている。

80年の歴史に終止符

2004年、シャルル・ド・ゴール空港へのショートファイナルに向かうヴァリグMD-11(画像:Alan Lebeda)
2004年、シャルル・ド・ゴール空港へのショートファイナルに向かうヴァリグMD-11(画像:Alan Lebeda)

 ヴァリグ・ブラジル航空の経営は厳しい状況に陥った。もともと長い間国営だった同社は、ヨハネスブルク経由の香港線などの不採算路線や組合問題に苦しみ、腐敗体質がまん延していた。

 1990年代以降、ブラジルでは規制緩和が進み、TAMブラジル航空やゴル航空といった新興航空会社が次々と登場した。これにより、ヴァリグ・ブラジル航空の収益源だった国内幹線や近隣諸国間のシェアが奪われていった。

 国際線においても、米国路線は長年の競争を勝ち抜いてきた米国系航空会社に対して不利になり、欧州路線も同様に、規制緩和で強化された欧州の航空会社や新興航空会社に押されて撤退を余儀なくされた。

 このように路線網を維持できなくなり、2007年1月にはスターアライアンスを脱退することとなった。さらに、2005年に会社更生法の申し立てを行い、実質的に倒産した。2006年には、

・VRG Linhas Aereas社
・Flex Linhas Aereas社

の2社に分割して再建を試みたが、Flex Linhas Aereas社は2010年に運行を停止してしまった。

 VRG Linhas Aereas社はヴァリグの名を引き継いで運航を続けていたが、同年3月に新興航空会社のゴル航空に買収され、単独会社としての存続は難しくなった。その後もゴル航空傘下で国際線を中心に運航を続けたものの、リーマンショックやさらなる競争の激化により、2014年にはヴァリグ・ブラジル航空のブランドが廃止され、80年以上の歴史に幕を閉じた。

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