アンドレッティの参戦と欧米文化の差異【連載】開かれたF1社会とその敵(3)

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米国のアンドレッティ・グローバルが11チーム目として参戦しようとしているが、FOMが2026年まで認めないこの問題は、“F1ムラ”に対する米国の挑戦であり、欧米の価値観との戦いになりそうだ。

“F1ムラ”と米欧文化の違い

欧州(画像:写真AC)
欧州(画像:写真AC)

 こうしてみると、閉鎖的な“F1ムラ”のなかでの論理に加えて、米国と欧州の国民性や文化の違いが浮き彫りになっている。

・「米国」は自由競争をうたいつつも、全ての人にトップになるチャンスを与えるために一定の制限を設ける。
・「欧州」は制限を最小限にし、できるだけ自由を認める結果、限られた人やチームだけがトップ争いをするのは仕方ないと考える。

この違いである。私たちは「欧米」「西洋人」をひとくくりにしがちだが、実際には異なる文化と考え方が存在するのだ。

 日本の例でいえば、最近のデータでは東京大学に進学する学生の親は高収入層が多いことがわかっている。これは、塾や家庭教師にお金をかける余裕があるためだが、それがいいことなのか悪いことなのかは容易に理解できる。

 その答えはそう遠くない将来に出るだろうが、2027年以降に彼らが参戦できるかどうかだ。アンドレッティが既存のチームを買収するにせよ、新規参入するにせよ、参戦が実現したら、米国議会の政治沙汰から“F1ムラ”から嫌われ、マイナスからのスタートとなることはほぼ避けられない。

 もしアンドレッティがF1に参戦できなければ、他の米国のレーシングチームも参戦できないだろう。世界中で政治的な分裂が起きており、世界情勢を揺るがしているが、もし欧米のレースでも同様のことが起きれば、レース界全体、そしてファンにとっても大きな悲劇である。

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