ローカル鉄道の輸送密度「1万人以下切り捨て」で見えてきた“明治初期への回帰” JRは結局、誰のために列車を走らせているのか?
ローカル線の廃止は、地域の衰退や利便性の低下につながりかねない。鉄道には単なる輸送手段以上の価値があり、収益性だけでなく多様性という観点からも議論されるべきである。
ローカル線を残す「論理」

ローカル線に関してはしばしば
「輸送量が少ない鉄道路線はバスに転換すればよい」
という議論がみられるが、当媒体の他の記事でも何度か取り上げられてきたように、バスも危機的状況にある。
最近ではドライバー不足が焦点だが、鉄道で採算が取れないような地域では、バスに転換したところで短期的に赤字額が縮小するだけでいずれバスも廃止される。現に2000(平成12)年以降に累積で
「約62万km」
のバス路線が休廃止されてきた。
ローカル線で「100円の営業収入に対して営業費用が何万円もかかる」などの極端な例が興味本位に取り上げられるが、総額として日本の鉄道全体に占める赤字の割合はごくわずかでしかない。
都市部の鉄道利用者が負担した運賃収入がローカル線の維持に使われるのは不当だという意見も聞くが、これまでにも多くのローカル線が廃止されてきたにもかかわらず、大都市の鉄道利用者の利益、具体的には
・値下げ
・混雑解消
・利便性向上
などとして還元された実績があるだろうか。
一方で携帯電話やスマートフォンを考えてみよう。これらが機能するには、ユーザーが所持するデバイスの背後で基地局・サーバーなど膨大なシステムの稼働が不可欠である。いま過疎地でも至る所に基地局が設置されている。仮に地域別に計算すれば過疎地では一通話に何万円かを課金してもコストは回収できないだろう。大都市のユーザーが過疎地のユーザーを補助することで全国どこでも通じるシステムとして成り立っている。
「自分は都市内での通話にしか使わないのに過疎地の費用を負担するのは不当だ」
という批判は聞いたことがない。