いくら何でも作り過ぎ? 大都市で「コインパーキング」が急増している根本原因

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近年、身近な投資対象としても注目を浴びているコインパーキング。そもそも、なぜコインパーキングはここまで急増したのだろうか。その背景を探る。

1960年代後半に普及した自動車

東京駅八重洲パーキングのウェブサイト(画像:八重洲地下街)
東京駅八重洲パーキングのウェブサイト(画像:八重洲地下街)

 こうした経緯を見てもわかるように、当時は貴重な土地をわざわざ駐車場のために使用するという概念が希薄だった。そのため、公園や河川といった公共空間の地下か、もしくは埋め立て地に活路を見いだすしかなかった。また日比谷自動車駐車場が開設された当時は、まだ月極めの意識が強かった。そのため、日比谷自動車駐車場には洗車室や修理室なども併設されることになった。

 1960年代へと時代が移ると、日本は高度経済成長の波に乗って3種の神器から新3種の神器へと憧れのターゲットが変わっていく。新3種の神器とは、カラーテレビ(Color television)・クーラー(Cooler)・カー(Car)を指す。

 1955(昭和30)年に通産省(現・経済産業省)が打ち出した国民車構想により、1960年代後半になるとカーは高級品ではあったものの庶民の手に届かないような代物ではなくなっていた。こうして、カーは一般家庭へと広まっていく。

 マイカーの増加と比例するように、街を走るバスやタクシーの台数も増加。そのため、駅にはバスやタクシーが乗り入れられるような交通広場が整備される。自動車が増えれば、当然ながら駐車場の整備は欠かせなくなった。

 日比谷には遅れたものの、1973年には東京駅八重洲パーキングが開設。同駐車場は地下街と併設されたこともあって、商業施設に併設された駐車場と思われがちだ。しかし、その主従関係は逆で、八重洲パーキングを開設する際に地下に商店街が併設されている。

 駐車場を巡る法的な整備は1960年代までに一通り完了した。平成期には自動車保有台数の増加が鈍化。とはいえ、依然として東京・大阪といった都市部では住宅街での駐車違反が問題化していた。

 特に30分未満という取り締まりの一瞬の隙を突くような駐車違反が目立つようになってきたこともあり、2006(平成18)年から駐車違反の取り締まり業務を民間委託化。放置車両の取り締まり業務は駐車監視員と呼ばれる“みなし公務員”に任されることになり、住宅街でも駐車違反の取り締まりが強化されていった。

 こうした路上駐車の取り締まりの強化や法整備が進められた一方、2000年代からは自動車を保有しない生活スタイルも広がり始める。兆候を捉えた事業者はカーシェアへ続々と参入。2010年代には、自動車は所有から使いたい時だけ借りる時代、つまりシェアする時代へと転換していった。

 自動車を保有しない大部分は東京・大阪といった鉄道インフラが十分に整備された大都市部在住者とはいえ、これまでのライフスタイルから大きな転換になっていることは間違いない。

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